妻が突然亡くなりました−最終回

前回のこのシリーズから少し時間が空いてしまいました。本日(公開日)は2023年6月22日、家内を失ってから丸二年です。

家内を失って以降のことを書いていると、結局自分では大したことができず、周りの人の心使いやお手伝いでなんとか平静を保って過ごしてきたんだとわかります。妹、Yさん、そして頻繁に顔を出してくれた社員の皆さんに感謝してもしきれないです。

先日の別会社の全社会議での挨拶で、

「この6月22日で家内を失ってまる二年になります。死体を発見した瞬間に、思い描き準備していた人生設計がまるごと崩れさり、目的も目標も希望も全て失ってしまいました。でも、周りの人たちの励ましを受け家内死亡6日目には出社し、それから一年間以上、複数人の社員の皆さんにお手伝いいただき家の中の整理、特に僕が使いやすいように段取りしていただきました。そして、へこたれそうになる僕を叱咤激励してもらい二年経った現在でも変わらず励ましてもらい手伝ってもらって、人生を諦めず楽しい生活を送れています。この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。今後も、よろしくお願いいたします。」

と発言させてもらいました。

今でもいろいろ思い返そうと努力はしていますが、やはり、死体発見直後からの記憶は曖昧で、死体を発見した情景だけがひどく鮮明に写真のように目に焼き付いていて忘れられません。発見直後、救急車の手配は自分でしたのですが、警察、妹への連絡、鑑識官による検視、葬式場の手配などたくさんのことをこなしている筈です。葬式の手配などその大半は妹がしてくれたことは間違いないですが、正確に覚えていません。初回に書いたとおりです。長年連れ添った妻が、朝まで元気だったのに帰ったら死んでいたなんてとうてい受け入れられませんでしたが、現実でした。

さて、前回、昨年度の1周忌のことを書いていくとか言ってましたが、昨年度の一周忌法要には兄弟はじめ甥姪やその家族、家内方の親戚の皆さん、そして大勢の社員やOBの方も集まってくれ参列してくれました。正午からのお坊さんの法要後、これが面白いのですが、大宴会が始まりました。お通夜や葬儀のときもそうでしたが、とにかく騒いで賑やかにしてくれました。店長が生きている価値があるかもね、これからもがんばらんといけないねと励ましてくれているようでした。途中で酒やツマミが足らなくなってスーパーに買いに走ったり、夜まで大騒ぎできました。楽しかったです。一周忌法要が楽しいとは不謹慎かもしれませんが、周りの皆さんの心使いが身にしみました。

それからまる一年、先日2023年6月4日に三回忌法要を執り行なうことができました。この1年の間に義母が亡くなったりして、甥も姪も走り回ってヘトヘトでしたが遠方より参加してくれました。家内は、最も気にしていた甥姪たちが元気で来てくれたこと最も喜んでいたのではないでしょうか。今回は親戚の方も体調不良(直近の義母のときに言葉に尽くせないほどお世話になってヘトヘト)で不参加でしたし、社員の数人も所要があるということでした。弟も奥様が都合がつかないということでしたし、こちら方の甥も友人の結婚式ということで弟一人での参加でした。これは致し方ありません。
とはいっても、賑やかなメンバーはOBも含めて全員来てくれました。また、今回の法要から亡父がお世話になっているお坊さんにお願いしたところ快く引き受け遠方から来て頂だいて、厳かな心温まるお経(店長には意味がちんぷんかんぷんですが)を唱えていただきました。
前回の一周忌大宴会の教訓から、今回はお酒も大量に用意し、仏壇の前の和室と庭で宴会が繰り広げられていました。みなさん、楽しそうで良かったです。子供など家族が多かったり、親戚が多い家庭ではこういうことも当たり前なのでしょうが、店長は全くの独り身なのでこういう機会はありません。でも、楽しいものです。

さて、今回でこのシリーズは終わらせていただきます。ちょうど、家内死亡後1年間の様子を書いてきましたが、色々な方にお世話になると同時に、なんてことを言うんだと思える人もいたりで、それこそ「悲喜こもごも」でした。
人には色々な考え方があり、いろんな立場があります。ただ、こういう突発的な精神的に最も弱っているときに、黙って助けてくれる人たちは相手の気持ちをおもんばかれる優しい心の持ち主です。逆に自分の都合だけを言ってくる人もいましたが、相手の立場に立てない人であることは確かでしょう。どちらの心の持ち主になりたいかは人それぞれでしょう。長く人生を過ごしていますが、改めて人の気持ちを考える難しさを感じます。

私達夫婦は、生活環境も大学の専攻も全く違う他人同士だった二人が、結婚を期になんとか考え方の違いに折り合いをつけて生活をしてきました。付き合い始めて51年、結婚して44年でした。家内は某有名国立大学を出て薬剤師になり、超大手の製薬会社の開発部門で働いていました。それも、結婚して数年でやめてしまいましたが、何を思って店長と結婚してくれたのかはいい意味で不明です。

子供ができないという事で、医者に行って検査してもらったこともあります。でも、子供ができなかった、その事が一生彼女を苦しめていたようです。我々の時代では、「子供がない夫婦は半人前だ」とか言われたこともあります。里親になろうかと思ったときにも、「子育ての経験がない夫婦が育てられるわけがない」と一刀両断否定されたこともあります。いまならモラハラですけれどね。「子供がない人は社長になる資格がない(多分人格的に)」とか言われたこともあります。こういう、それこそ理不尽で無責任な発言が長い間彼女を苦しめていたのは確かです。
これだけのせいではありませんが、精神的に不安定な時期もありました。店長も中小企業の代表取締役として忙しく一日14時間以上の仕事をこなし、家に何をしに帰っているのか解からない時期も長くありました。家内が不安定な時期に支えてあげられなかったのは非常に心残りです。途中、西宮にある新興宗教にハマっていた時期もあるようです。遺品に意味不明の歌のカセットがあったり、壺や絵があったりもしました。冗談のような非論理的な教えに沿うように努力していたようですが、所詮実現できもしない論理破綻した偽物ですから。そういうのも、僕がきちんと話を聞いてあげられてたらとは思いますが、これこそ後の祭りです。

これからどういう風に人生を過ごしていくかを考えないといけません。幸いローンなど借金はありませんし、これといって経済的に困窮する要素はありません。社員の女性に「終活していますか?」と質問を受けたことがありますが、していませんね。いまから、とにかく残された人生を、心身の能力が追いつく限り仕事と遊びに使いたいと思っています。自分の好きな趣味にお金を使い、好きなところにいってみたいと思います。ボツ一、子無し、色気なしの初老男性でも、自分を見失わないように必死に死ぬまで生きていかないと「命がもったいない」です。頑張らねば。

それと最後に、改めて妹には感謝です。彼女は小さいながらも会社経営者ですし、実は超高齢の実母の面倒も見てもらっていて、心身の休まる暇もないでしょう。それに、今回の件も合わせて降り掛かってきて、頼りない兄を「叱咤激励」しつつ手伝ってくれています。今でも、友達のYさんと二人で月一回来てくれます。Yさんにもつい最近知り合ったとは思えないくらい親身にお世話いただきありがたいことです。
社員の皆さんも、変わらず同じように来てくれて、未だに完了しない整理を一緒にしてくれています。こんなこと、普通ではとてもしてもらえる事ではありません。感謝してもしきれないです。
家内が買い置きしていたコロナ対策グッズとかシャンプー&リンス類、その他物資もだいぶ減ってきました。店長一人ではとても使い切れる量ではないと思っていましたが、流石に2年経つと半分くらいになりました。使用期限とかあるかもしれませんが気にしないでいきましょう。

人生色々という歌がありますが、時間は前にしか進みません。家内との若い頃の写真とか見ると、色々の光景を思い出すこともあります。同時に、彼女の妹とか義父・義母・義祖母のことも思い出します。若い頃からお世話になっていたのでお付き合いも長かったですし。
家内との海外旅行も英語圏ばかりですが、何度か行っています。その時の写真がうまく見つからないですが、多分「美男美女」で写っていることでしょう。

後悔先に立たずといいますが、後悔なんてしても解決がつかず疲れるばかりです。残りの人生は、彼女が僕を開放してくれたご褒美の時間だと思って生きてゆきたいと思います。

「妻が突然亡くなりました」のシリーズ、今回で最終とさせていただきます。長い間のご愛読ありがとうございました。

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