妻が突然亡くなりました−13

 先々週水曜日(2023年4月5日)23時19分、一人暮らし超高齢の家内の母親、店長の(元)義母が亡くなりました。その日、いつもどおり仕事を終えて家に帰ってきました。たまたまご飯を一週間分まとめて炊く日だったので、米を洗い、浸水を1時間させて40分弱で炊きあがり。ご飯を炊いた日は、家内の仏壇にお供えをしたり食べるまでに時間がかかります。おかず類を作って食べ始めたのが7時20分くらいです。食べ始めてすぐにスマホが鳴りました。(元)甥からでした。

 「おばあちゃんが病院へ運ばれて、今晩危ないらしい」とのことです。甥と姪が3人いるのですが、それぞれがすぐに出発するけれど、遠方に住んでいてとても間に合いそうにないとのことです。店長とにかく食べかけの晩飯をすませ、洗い物も済ませてしまいました。また、甥から電話があって、親類(法的な)がだれも間に合わないのでとにかく行ってくれということです。

 最悪の場合を考えて、喪服など準備し、戸締まりを完全にして21時前に出発しました。自宅から病院まで130キロほどありますので通常なら2時間は十分にかかります。出発直前に病院に電話して、2時間はかかると思いますと連絡しました。

 自動車専用道路や高速道路も利用しながらですが、何しろ夜道なのであまり無茶なことはできません。でも、なんと22時30分位に病院につきました。飛ばし過ぎかもしれなかったです。

 病院についてすぐにナースステーションにお伺いして、義母の部屋に案内してもらいました。面会時間はとっくに過ぎていますが、もう、今晩保証できないのでとにかく会ってくれと言われながら入りました。義母は、意識がなく酸素吸入器でせわしなく息をし、心電計の心拍数も高く、酸素飽和度は80%代、血圧は上下とも低い状態でした。看護師さんのお話では、この血圧では身体を維持することは難しいし、脳にもダメージが及ぶかもしれないとのことでした。廊下に出て、甥や親戚の方に連絡を入れて、今の状態を連絡し、いつ来れるかを確認しつつ、重要な決断は店長に任せるという一言を看護師さんに話ししてもらいました。

 部屋に戻り、義母と二人っきりで過ごすことになりましたが、義母は意識がないのでもちろん話はできません。店長も無の境地です。心電計を見ているしかなかったのですが、徐々に心拍数が落ちてきて、血圧も下が30とかになり、その後、呼吸が止まり心拍が0になってしまいました。看護師さんが部屋に来られましたが、慌てることもなく見守ってくださっていると、また心拍が戻りましたが、またすぐに0になるを数回繰り返し、完全に止まってしまいました。実は、義父が亡くなるときも店長はそばにいて、同じように心電計の心拍が0になるのを見届けました。自分の父親や家内の臨終には立ち会えなかったのにと少し複雑な思いです。

 これで、亡くなった家内の家名・家系は終わりましたが、血縁は孫たち(甥、姪)に引き継がれています。店長は彼らが嫌がらない限り今後も付き合っていきますので、家内も義母も義父も心残りがないことを祈ります。店長が頼りないって叫ぶかもしれませんが。

 

2022年5月1日(日曜日)

 妹とYさんが来てくれました。連休の中日でしたので、ペースをそう上げずに、やはり家の掃除とか片付けとかしてくれました。一人で住んでいてそんなに汚れないだろうとは言われるのですが、近所に運動公園が会ったり電車の駅があったりで砂埃が多くて、屋内でもすぐにホコリが溜まります。この時期は、車の屋根に目に見えるほど積もりますし、黄砂も大変です。それらを綺麗にしてくれながら、冬物、春物、夏物が混在している衣料を夏物一本に纏めてくれて、その他は押入れにしまってくれました。店長、合物と冬物の区別がきちんとつかないんです。靴下なんか超冬物はわかりますが、その他は同じに見えます。

 

2022年5月3日(火曜日、憲法記念日)

 社員が来てくれて、庭や玄関など外周りの掃除をしてくれました。合わせて、プランターなど余っている園芸用品類を纏めてもらってくれる事になりました。プランターが大量にあるので助かります。

 

2022年5月5日(木曜日、子供の日)

 甥家族が来てくれました。4歳の子供は可愛らしいですね。人見知りらしくってなかなか店長にも馴染んでくれませんでしたが、1時間もするとなんとなく距離も詰まってきてあれこれ言ってきます。ママと庭で走り回って遊び、二階のオーディオルームにある70インチのテレビでディズニー・チャンネルを見たりして遊んでいました。この甥は3人兄弟の一番上ですが、超大手の会社の役職についているので、なんとなくしっかりしているように思います。家内方なので、店長とは血の繋がりはありませんが、今後も親戚として付き合って行くと言うことです。気を使わなくてもいいとは言いましたが。前にも言っているように、歳の離れた友人かも。

 

2022年5月6日(金曜日)

 歯医者に行ってます。もう、おなじみさんですね

 

2022年5月11日(水曜日)

 別会社の会議にリモートで出席しています。

 

2022年5月12日(木曜日)

 理事長をしている組合の決算最終チェックを行いに、事務局に行って軽い会議です。
 各社のお考えも色々ですが、この組合は理事長のわがままを許してくれる組合なので比較的まとまりやすいです。

 

2022年5月13日(金曜日)

 別会社で税理士の先生とお話しながら先期の決算の状況と今季の注意点などのお話をしました。なかなか厳しいです。

 

2022年5月14日(土曜日)〜15日(日曜日)

 上の組合の総会が和歌山の方で開かれたので行ってきました。というか店長行かないと始まらないのですが、朝からゴルフをして上がって会議を2時間ほど、その後宴会です。酒があまり飲めない店長は酔いつぶれないようにするのに必死でした。
 翌日は有志によるゴルフですが、もちろん店長はパスです。下手ですので、お好きな方だけでどうぞということです。朝、ゴルフ組を見送ったあとゆっくり家路につきました。

 

2022年5月17日(火曜日)

 副理事長をさせてもらっているもう一つの組合の定時総会がありました。こちらはコロナの影響を受けてイベント事など出来なかったので、そういうことを報告しました。ただ、総会後の会食も取りやめ、各社からの参加人数も制限させてもらって、簡単に終わることが出来ました。

 

2022年5月21日(土曜日)

 朝から風呂場の換気扇「カワック」の取り替えに来てもらい、その後、久しぶりに散髪をしに馴染みの散髪屋さんへ行きました。馴染みなので、得意の「エアーカット」でさっぱりさせてもらいました。「エアーカット」ご存知でしょうかね。

 

2022年5月21日(日曜日)〜22日(月曜日)

 上の組合の部会の一つのゴルフの会の総会に参加しました。この会も会長を仰せつかっているので不参加は許されず、弱い酒と下手なゴルフながらしのぎました。ワイワイやるのは、下手でも弱くても楽しいものです。

 

2022年5月24日(火曜日)

 同じく上の組合の各委員会のメンバーの決定の会議を行いました。なかなか、人選も大変ですが、若い方が増えてきたので理事会の行動方針も考えていかないと能率が悪くなります。世代交代はどんどんしていかないと。

 

2022年5月27日(金曜日)

 千葉在住の高校時代の友人が、家内のお参りがてら来てくれました。何十年ぶりです。彼も超大手の食品会社に努めてそこそこの役職についていました。リタイヤして少しゆっくりしたような印象ですが、懐かしく、かつ新鮮でした。ありがたいことです。

 

2022年5月29日(日曜日)

 妹が遊びに来てくれました。この日は特に何をするのではなく、同居して介護してもらっている母親のことを色々聞きながら過ごしました。母親は94歳(当時)ですが身体も元気で一見正常に見えるのですが、やはり、寄る年波には勝てないというか「認知症」の症状が出てきているようです。妹に何もかも任せっきりですので、ストレス溜まりまくりになって当然です。母親は頑として施設には入らないと言っていますし、マメな人でもないので特に趣味もなく、デイサービスもあまり行きたがらないようです。妹は小さいながらも会社の経営をしていて、四六時中母親の面倒は見ておれるはずはなく、昼間は母親一人で過ごしています。「老いても子に従わず」不平不満ばかり言っているそうです。可愛そうな気もしますが、妹の生活、将来の展望など考えたら、家で生活できることに満足してもらわないと行けないのは事実です。妹には苦労をかけっぱなしです。

 

2022年5月31日(火曜日)

 別会社の申告日で税理士先生に来ていただいて署名捺印などしました。
 そのうち、これらも完全電子申告になるのでしょう。

 

 さて、来月(2022年6月)は家内が亡くなって丁度1年になる月です。このブログもぼちぼち終了させようかと思います。次回は2022年の6月のイベントと本当の心持ち、次々回は賑やか大騒ぎで楽しかった「一周忌」について書いてみたいと思います。

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