妻が突然亡くなりました

 ご無沙汰しております、店長です。ちょうど1年ぶりです。
 僕が文を書けなくなっていた間、技術部長が違った傾向の話題を書いてくれていました。感謝しております。
 
 さて、昨年(2021)6月22日、家内(享年69歳)が突然亡くなりました。全く前兆もなくです。朝、いつもどおり行ってきますと手を振って駐車場から出ました。その時、「はよ、帰って来てや」と言いながらバイバイしていた彼女が生きている姿を見た最後です。
 
 その日も特に変わったこともなく仕事を終え、いつもは会社(Webマーケットとは別会社で会長職)を16時30分に出て帰宅するのですが、退出直前に突然社長より社員のボーナスの査定や金額の相談を受けて検討を重ねた後18時前に退出しました。

 いつもより遅い時間帯でしたが、車での帰り道も目立った渋滞もなく順調で18時40分頃に自宅に着きました。いつもどおり車庫に車を入れて、これもいつもどおり玄関のインターホンをピンポン・ピンポンと連打していたのですが、普段なら「はーい、うるさいね」と家内が出てくるのに全く反応がありません。まだ明るい時間帯だったので買い物でも行ってるのかと思いながら、玄関の鍵を開けて家に入りました。家の中は照明も点いていなくてやや薄暗く静かでした。

 どこへ行ったんだろうと思いながらリビングに入ったら、リビングとつながっている和室で家内がうつ伏せで倒れていました。大慌てで駆け寄りましたが、身体の色が紫色に変わっているし触るとものすごく冷たかったです。もう、死んでいるのは明らかです。あまりに大きなショックだったのか、この瞬間に頭の中が冷たくなってひどく冷静になったような記憶があります。そのときに見た光景は、一年たった今でも写真のように頭の中に残っていて、前触れもなく唐突に思い出してしまいます。

 すぐに消防署(119)へ電話して様子を伝えたら、「息をしているか確認してください。」「身体をうつ伏せから仰向けにしてください。」などの指示をいただきましたので確認しました。「息はしていません」「身体は足を少し開いているのもあって重くて動かせません」と返事をしたら「そのまま、しばらく待ってください、もうそちらに救急車が向かっていますので」と言ってもらえました。

 電話をかけた後、そのまま椅子に座り込んで死体をただ呆然と眺めていました。多分5〜6分だと思います。その間、何も考えていなかったように思います。

 救急隊員が来てAEDなど使って蘇生処置を行ってくれましたが「残念ですが、救命処置は効果ありません」とのこと、「警察に連絡入れますので、触れずにお待ちください」「お子さんはいらっしゃいますか?」「いいえ、いません」「では、親戚など親族の方に連絡して来てもらってください」と指示をいただきました。妹に電話して事態を説明し来てくれるようにお願いしました。こう書いてはいますが、冷静になっていたはずなのに、家内の遺体を発見後や消防署に連絡して以降の記憶が極めて曖昧です。

 直後に、警察の方が数人来られて検死と事情聴取を受けました。事情聴取も最初は慰めの言葉をかけてくれていました。救急隊の方が情報を入れてくださっていたようです。先程連絡がついた実妹が駆けつけてくれて、一緒にお話を聞きながら調書を作ってもらいました。

 鑑識の方の検死も長い時間行われていましたが「事件性はない」ということで「死因については解剖すれば解ると思いますが、もうしなくてもいいと思います。」と言ってくださって、二階から布団など降ろしてもらって遺体を現場の一階和室に寝かせてもらいました。
 「まだ、うっ血が残っているので顔などは紫色のままですが、苦しんだ様子がないので、即死だったと思われます。心臓麻痺ですね。」と検視してくださった方のご意見でした。これは、死亡届を出すために来ていただいた医師も同じ意見でしたし、死亡時間も当日お昼すぎとわかりました。

 この検死が終わる直前に実弟も駆けつけてくれたようですが、妹の顔を見たときから、葬儀が終わり、遺骨を家に持ち帰るまでの間の記憶がほとんどありません。もちろん、とぎれとぎれの記憶はありますが、時系列も含めて繋がりません。記憶に残っている部分を書かせてください。

 すぐに警察に紹介いただいた葬儀社に連絡を入れてもらって、遺体にお化粧をしてもらいました。うっ血で真っ黒(青)だった顔に化粧をしていただいて、きれいにしてもらいました。じつは、この作業は時間軸でいつしてもらったのか記憶が定かではありません。別室で待機していたら「きれいになりましたよ」と呼びに来ていただき、見に行くと肌色の顔になっていました。その時、改めて「死んでるんだ、死んだんだ」って苦しいくらい感じました。

 その夜、関係者が皆帰った後、僕一人では不安なのでと妹が泊まってくれました。晩御飯とかどうしたかは思い出せません。「風呂入るか」とか聞いたようですが、覚えていない。
 会社から帰宅してから何時間経っていたのかわかりませんが、窓が少し明るくなってくるまで起きていたように思います。多分、なにか食べたり飲んだりもしたのでしょうが全く記憶がありません。

 翌日、お通夜の準備なども葬儀社の社長様と妹がすべて整えてくれたようです。僕も意見を言っていたそうですが、多分、支離滅裂なことを言っていたと思います。後日、妹が「わがまま言ってた」とかいって笑っていましたので、多分そうだと思います。

 翌日の通夜の折、家族葬と思っていたのにたくさんの方に来ていただきました。湿っぽいのはだめだろうと小宴会のようにしてくれたそうですが、どういう話があったかとかの細かい点は覚えていません。家族葬になるはずでしたが、各所に連絡が行っていたようで、大勢の方に来ていただけました。
 葬儀社の方が最後お酒が足らなくなってしまいましたと笑っておられ、喪主が深刻にならないよう親戚や社員の方からも気を使ってもらってるのよくわかります。本当に大事にされていて幸せですね、と言ってもらえました。ありがたいことです。

 その晩は、祭壇前で見守るべきなのでしょうが、自宅がすぐそばなので一旦帰り、寝ることにしました。このときも、心配してくれて家内側の甥が泊まってくれて、彼と一緒にやっとビールを一本飲んだのを覚えています。

 寝たような、寝ていないような一夜を過ごし、翌日葬儀になりました。喪主として、お坊さんへのご挨拶などを、妹と葬儀社の社長様に助けてもらいながらなんとかこなし葬儀を執り行いました。長いような短いような式が終わり、棺に入った家内の顔をもう一度見て” I love you!”とお別れを言い、周りにお花を飾って蓋をしてもらいました。心が完全に停止しているような感じです。

 通夜でたくさんの方に来ていただいたこと、葬儀にたくさんの方に参列いただいたこと、気がつけば葬儀が終わり喪主挨拶をしないといけないのに感情が高ぶって出来なかったので、家内側の甥に代わりに挨拶してもらったことなどを少しだけ覚えている程度です。参列くださった方々への挨拶やお礼もきちんと出来ていたと言われましたが、今考えても非常に不安です。

 ここからまた記憶がさらに曖昧になってしまうのですが、皆さんに見送られながら霊柩車に乗り斎場に到着。棺を台車にのせて竃の前まで持ってゆき、もう一度お坊さんにお祈りをしてもらい、顔を皆さんに見てもらいました。僕は、もう見ませんでした。立っていられないほど、つらい気持ちになりました。その後、棺が竃に入れられました。
 数時間後、お骨を拾うのですが、このときは、もう感情はありません。淡々と骨を拾い、骨壷に収めて行きました。

 こうして、僕と家内の44年の結婚生活は突然終わりました。付き合い始めて51年目の別れです。それまで彼女には「僕のほうが貴女より1秒でも長生きしてあげるから」って冗談で言っていました。本当に約束通り彼女を見送ることになりましたが、僕自身はこれから先、長い1秒を過ごすことになってしまいました。
 彼女が本当に幸せだったのかどうかわかりません。結構文句をいっていましたからね。僕は仕事一辺倒だったので色々不満もあったと思います。今となってはどうすることも出来ませんが、彼女のために生きていく人生設計だったのを、今後は自分自身を見失わないように生きて行く努力をしないと駄目だなと改めて思っています。

 僕は、人生の中で、最も致死率が高く痛い病気の一つである「大動脈解離」を経験しながら生き延び、人生で最もストレスのかかると言われている経験の一つの「伴侶を無くす、それも突然」を体感し、それでもなんとか生き延びています。また、生き延びていかないといけないんですね。辛いような気もします。でも、頑張ろうと思います。

 さて、妻を失った男が一人でどういう生活をしているのかは、今後もこのブログに書いていきたいです。幸い学生時代の経験をもとに、掃除・洗濯・料理など家事全般を行って、なんとか一年間生き延びています。

 とはいっても自力だけでは生活維持は絶対無理で、妹はじめ友人や社員の皆さんの献身的な手助けや励ましがあって、大きく揺れながらも精神的な問題を起こすことなく生き、過ごせてきたと思います。感謝してもしきれません。最初の半年はほぼ毎週、その後も手分けしてどなたかが週に一度、家に来ていただいて身の回りの整理や話し相手になってくれ、生存を確認してくれました。また、ご近所の皆さんにも食事など含めてお世話になりました。

 家内死亡二週間後に、定期的に予約している循環器内科の定期検診に行きました。先生に家内の話をすると黙って睡眠導入剤をオーダーしてくれて、とにかく寝なさいと言われました。夫婦のうち、男性が生き残ると精神的な落ち込みが大きいので気をつけるようにとも言われました。そうなんですね、うつ状態に陥りやすいようです。今の所そういう事態にもならずに、ニコニコしながら仕事と生活と精神状態を維持できています。どんなふうに生活しているかはまた次回以降に。

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