妻が突然亡くなりました−3

20220729 妻が突然亡くなりました−3

 2021年7月14日(水)、前回書いていた家計用口座のある銀行に行きました。ほかにも取引していた金融機関もあるようなのですが、とにかく生活用の口座の扱いを把握しないといけません。前の週、会社から帰宅すると夕飯もそこそこに彼女の使っていた箪笥を探索して、通帳と複数の印鑑を探し出しました。キャッシュカードも見つかりました。それらをもって銀行に行って、家内の状況を説明して、自分の身分証明もして、印鑑(印影の確認)とキャッシュカードのパスワードを見つけ出しました。実は同じ銀行で小さな貸金庫を借りていたのですが、これも暗証番号がわからなかったのですが、多分この番号だろうと思ったのがビンゴでその中にキャッシュカードの暗証番号も控えてあったので、一挙に家計用銀行口座の出し入れの問題は解決することができました。数週間、銀行口座が自由に使えないのはいかにも不便でしたので助かりました。

 その日のうちに取引のある銀行を訪問して、事情をお話ししながら今後どうすればいいのか等、アドバイスをいただきました。また、以前、彼女の母上が一時的に我が家に同居しておられて、その時に母上が作られた口座なども家内が代行で管理していたようなのですが、今後は管理できないのでどうしたらいいのかの相談もさせていただきました。
 ちょっとだけムカついたというか銀行って心がこもっていないなと思ってしまったのが、義母の口座を解約してそれを現在の義母(高齢ながらご存命で自力で出かけられないので介護を受けながらそれでも独居)の取引銀行に移したいとお願いしたのですが、「ご本人に来ていただいてお手続きしていただかないといけない規則になっています。まして、あなた様は義母様とは血縁でもないし今回縁者でも無くなられたので代行の手続きはお受けしかねます」とのことでした。「近所に出かけることも出来ないし、車で数時間もかけてこちらに連れてきたら到着するまでに死んでしまうので、何とかもっと簡略化できないか。それに、長命とはいえいつ亡くなってもおかしくないので、大混乱にならないうちにとにかく早く義母の手元に戻したい。」とお願いしたのですが、「規則ですので」というお話でさっぱり進みませんでした。最終的には各種書類をそろえて無理を聞いてもらい無事に振り込み処理が出来ましたが、途中のお話は、「死んでもいいから本人が来て処理しないと出来ない規則です」「人の命より金融機関の規則のほうが大事だ」と僕には聞こえました。現住居から遠方にある銀行に預金のある方は、今後の付き合い方なども考えたほうがいいかなと思います。
 その日は、最後に葬儀社を訪問して、依頼していた家内の葬儀に使った写真を小さく焼き増ししてもらったのをもらいに行きました。義母に葬儀が終わったことを報告しに行くときに持っていくためです。

 7月14日に大ガス(大阪ガス)に食洗機を付け替えてもらいました。生前の家内がいくら頼んでも代替品がないので取り替えが出来ない言われたと嘆いていたので、そんなことは無いと思い親切な大ガス販売店の営業の方にお願いして見てもらったら、なんとか取り替えられると思うし、なぜ出来ないと断ったのかはわからないと言ってくれました。頼りない高齢の女性がわがままを言っているとでも思われて相手してもらえなかったのではないかなとか、ちょっとうがった見方もできそうです。とにかく、新品に取り替えてもらいました。実際は、一人で使用する食器類は少ないので食洗機の稼働率は低いでしょうが、家内の希望でしたし家内がお願いした以前の営業の方の誠意のなさに対しての嫌味かな。大企業にも駄目ダメな人がいるんですね。

 7月18日(日)に弟夫婦と妹が手伝いに来てくれて、家の中の整理を続けました。同日に、新しい仏壇が納入されました。置き場所に悩んでいたのですが、仏壇屋さんが床の間においてもいいと思うと言ってくれたので、今まで僕が寝ていた和室に設置してもらいました。生花も飾り、お供えもしてそれらしくなりました。ただ、店長には家内の仏壇とは思えない、うまく脳内で関連つけられない状態でした。

 7月20日、ウィークデーですが休みを取って、車で3時間ほどの距離にある義実家の母上に会いにゆきました。母上は超高齢な上、一人住まいをされているので、夜中に大きなショックを与えてはいけないだろうと思い、家内が亡くなった6月22日の翌日23日に掛かりつけのお医者様にお願いして「家内の突然死」を知らせていただきました。母上に、前触れもなく突然亡くなったこと、苦しんだ様子もなかったこと、沢山の方にお見送りいただいたことなどをお話しました。すると「最も幸せな死に方だったと思う。」とおっしゃっておられました。普段はお一人でヘルパーさんに助けてもらいながらの生活なので、娘が死んだ、直系の親戚はもういなくなったと言うこと実感されていないような気がしました。僕はいくら娘の亭主だとは言っても義母からすれば他人に近いでしょうから、この時は、日頃からご機嫌伺いのように訪問してくださっている家内の従兄弟に当たるご夫婦に付き合っていただいて、義母が混乱しないようにしました。
 今回の訪問で、義母に色々な流れをご理解いただけたかはわかりませんが、法的な繋がりはなくなったので役所での手続きなど代行できないけれど、お菓子など欲しいもの些細なものでもあれば連絡してもらえれば用意できるし、義妹の子どもたち(甥2人と姪1人)のこともお手伝いするので安心してほしいと伝えました。耳が本当に遠いので従兄弟の大声と僕の筆談で伝えました。日帰りしました。ちょっとしんどかったです。

 その週に、海の日(木)とスポーツの日(金)があって、家内が亡くなって初めて一人で過ごす休みでした。今考えても何も思い出せないのですが、その土曜日が仕事でしたので、多分、洗濯や掃除をしていたのだと思います。25日(日)に父親の法事があったので、妹はそちらの準備をしてくれていたのですが、さて、何をしていたんだろう。

 25日夜だと思うのですが、妹から「弟くん怒ってる。兄貴は何をしてやっても礼を言わないので手伝う気になれないって。もう手伝いに行かないつもり。って言ってやるで。」と言う連絡でした。本当かなと思っていたのですが、翌日、弟くんから直接「礼も言われないので手伝う気になれない。そう思うやろ。記憶がないというのもほんまかどうか。49日も済んでないのはわかるけれど、とにかく礼も無いので今後は手伝いに行けない」とお叱りを受けてしまいました。弟夫婦は単独で来てくれたことはなく、妹や社員の子が必ず一緒に来てくれていて、必ず「ありがとう」と言ってました。逆に「ありがとう」ばかり言いすぎやでと言われていたほどです。そういうことで妹や社員の皆さんらは特に文句が無いようなので、弟夫婦にだけ特別に礼を言わないといけなかったようです。実際、それ以降四十九日と法事以外は来てくれないので本気だったのでしょう。とはいっても、こちらの記憶が飛んでいるというのも事実なので、どういう経緯なのか未だ不明ですが。

 7月27日(火)に印鑑証明をもらいに役所へ行きました。この日は新型コロナワクチンの2回め接種の日で特休日だったので利用しました。印鑑証明をもらわないと、遺産相続や各種名義変更などが出来ないのですね。

 7月31日、リモートでの会議がありました。同時に妹が整理に来てくれました。彼女、小さいながらも会社経営者ですし文筆業でもあるのですが、ここのところ休み無しで手伝ってくれています。店長の家は一軒家で小さくはないので片付けは大変です。とにかく、必死で手伝ってくれているというか、彼女が一人で片付けてくれて店長は横で見ている感じです。社員の皆さんが来てくれたときでもやはり店長は横で見ているだけです、役に立たないな僕。

 8月1日(日)に自宅で「四十九日法要」を執り行いました。妹と社員の女性陣で配置や座布団、食事なども準備でき、問題なく行えました。四十九日ってどういう意味か分かりませんでしたが、丁度そのくらいで残された者の気持ちの整理が出来るかもしれないと言う時期になるようです。これも、店長一人ではとても準備が出来なかったのは間違いありません。お手伝いいただいた皆さんに感謝です。また、休みにも関わらずご参列いただいた皆さんにも感謝です。

 8月4日(水)に義実家に四十九日の様子の報告や写真を持ってお伺いしました。義母は元気にはしておられましたが、娘の死を現実として受け入れられているのかどうか。一人の死は色々な影響があるものだと、あらためてじんわりと心に響きます。この日も日帰りしましたが、車で移動しないといけない場所なのに高速道路の修理とかで混んでるしでやや辛いです。無理して日帰りしないほうがいいかなと思いました。

 さて、四十九日が済んで、無理やり自分に整理をかけて生活再建に取り掛かります。次回以降はどういうふうに動いたかを書いてみたいと思います。男一人の生活再建は結構ハードルが高い部分もありますね。

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