■水際立った誠実さ
 "無償"の行為で辞典づくりに奔走
大塚 融  心友

 折目君は当節稀な義の人であった。大阪の老舗広告代理店「萬年社」が倒産、明治初期の錦絵新聞や大阪創刊の各種新聞などの史料が東京に買い取られそうだ、と3年余り前大阪市近代美術館建設準備室・菅谷富夫君から泣き付かれると、すばやく「能村塾」や「おおさか21の会」の会員に呼びかけ、300万円の寄付金を集め、大阪からの流出を防いだ。折目君の日頃の誠実さに誰もが応えた寄付金であった。

 『関西ジャーナル』創刊間もない昭和56年5月15日号に〈大商有志 青年研究グループのサタワル語辞典づくりに150万円寄付〉の記事がある。国立民族学博物館の石森秀三(現・教授)、須藤健一(現・神戸大学教授)、秋道智弥(現・総合地球環境学研究所教授)の三人の助手が、ミクロネシアの小島・サタワル島の現地調査での地元民の協力の御礼に、「サタワル語辞典」をつくってあげたいが資金がない、と聞いた折目君が奔走、大商の里井達三良さん、白山宣太郎さんに働き掛け、集めたのである。

 3人の研究者の「民族学は現地調査で地元民を利用するばかりで、研究成果のお返しをしてないことの反省」という殺し文句に意気を感じたからであった。折目君の奔走の誠実さは水際立っていた。

 しかし、奇妙なことにこの「サタワル語辞典」は20年余り経った今なお、刊行されず、いやそれどころか、歴代の国立民族学博物館の館長によれば、刊行されることはないだろう、と言うのである。刊行できない経緯は知らないが、お金をもらった3人は、折目君に一度も経過報告をすることもなく、やがて1人は「観光学」に転向、3人はちりぢりになっている。

 折目君の葬儀に、大阪市近代美術館建設準備室・菅谷富夫君は参列している。だが、石森、須藤、秋道の3君は、大恩ある折目君に弔意をみせていない。

 義の人・折目君は無償の行為の人でもあった。弔意をみせないことをとやかくは言うまい。しかし、3君は、辞典の刊行を楽しみにしていた里井さんのためにも、一生かかって「サタワル語辞典」を刊行し、折目君の霊前に捧げるべきではないか。

 そうではないか 石森君 須藤君 秋道君
 
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