■数々の思い出
ボランティア精神を発揮して構想を実現
能村 龍太郎 太陽工業会長

 折目さんとは、亡くなる2日前の2月3日夕方に、電話で6日の夕方に会う約束をしていましたので、亡くなったという知らせを受けた時には、突然のことで体中から力が抜けていき、会うことを楽しみにしておりましたので大変ショックを受けました。

 折目さんとの思い出は多すぎて、とても筆舌に尽くせるものではありませんが、初期の頃の出会いで印象に残っておりますのは、小生が昭和56年の大阪商工会議所議員に初当選しました時、初めて2人で食事をする機会を得ました。

 その時の話で「大阪の復権のためには、大阪のメインストリートである御堂筋を活性化させなければならない。それにはまず手始めとして南御堂の境内でファッションショーをやろう」ということになったのです。

 彼は、まさしくボランティア精神でもって自ら汗をかいて構想実現の為に関係者を廻り説得をして、コシノ3姉妹のファションショーが実現できたのです。これが今日の大阪コレクションに繋がってきたのです。

 彼は北海道出身にも拘わらず大阪に対して大変熱い想いを持っておりました。彼との話はいつも大阪復権についての話題で、それを実現するためにはどうするかとの話になります。その方向が決まれば関係者に話しをして前裁きをしてくれます。

 このように自分の信念のためには損得抜きで動き、相談ごとも親身になって聞いてくれますので、彼の周りには色々な人が集まってきます。年では80歳半ばから学校を出たての20歳ぐらいの人まで、また財界の人から文化人、大学の先生、ファッションデザイナーやその卵、モデル、夜の世界の人達まで色々な人達とのお付合いがあります。

 折目さんがこれまで培ってきたさまざまな想い、人脈等を活かして、ますます大阪復権のために力を発揮して欲しいと願っていた矢先のことで、大変残念でなりません。
 心よりご冥福をお祈りいたします。
合掌
 
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