■折目允亮氏と私
 創刊時からコラムを連載
河西 善三郎 関西師友協会理事

 私は昭和53年5月より関西師友協会事務局長に就任した。その頃折目允亮氏とは全く無縁であった。折目さんは日刊経済紙の記者として活躍しておられたことは後で知った。

 折目さんは当時関西師友協会会長の新井正明住友生命社長、及び久保田鉄工(現クボタ)社長で成人教学研修所理事長の廣慶太郎氏らを通して安岡正篤先生の存在を知り、東洋思想についての関心を深めておられたものと思われる。

 折目さんは昭和55年6月1日に日刊経済の同僚であった櫛橋寛治氏と共に『関西ジャーナル』紙を発刊されることとなる。その少し前、新たに発刊の予定である同紙に「漢字は語る」というコラムを設けたいので、そこに何かを書くようにと要請された。

 私は安岡先生がご講義の中で屡々漢字についてお触れになり、その妙味に唸らされていたので、それをお借りすれば何とかなるだろうとお引き受けした。
それが何時しか80回に及んだ時、折目さんはそれをまとめて『漢字に学ぶ』という1冊の本を出版して下さった。その後もそのコラムは120回も続き、今度は『漢字を楽しむ』という400頁もの本を出版して下さった。

 その後執筆を始めた「中国古典に学ぶ」も延々と324回を数えるに至った。
本年2月5日、折目さんは急逝された。関西経済界の情報紙として充実した内容で関西財界に寄与してこられた同紙がそのため廃刊されることは誠に残念なことである。寂寞の情に耐えない。

 私如き者を今日までご厚誼を賜ったことを心から感謝し、ご冥福をお祈りする次第である。
 
戻る