■淋しく哀しく惜しく
井上 義國 ダイキン工業顧問

 淋しい。30年近い交友の間にはいろんな事があった。だが、今は心温まる思い出ばかりが残った。

 関西ジャーナルが大阪の情報発信源として存在感を高め、創刊20周年を迎えた時は心から祝福した。

 平成12年、折目さんにけしかけられ励まされ、拙著「『あの日前後』―広島原爆記―」を関西ジャーナル社から出版した。2年がかりで完成した本が反響を呼んだ。これには共に驚き感激し、原爆で亡くなった人々を偲び、2人でひそやかに盃をあげた。

 平成4年、私が関西経済同友会代表幹事に就任した時のこと。「平生ボソボソ喋る人だからと、テープレコーダーを2台も準備していたのに、意外に歯切れのよい語り口にびっくりしました。人間、努力すれば変われるもんなんですね」

 取材の後、いつも辛口の折目さんから、おほめの手紙をいただいた。珍しかったせいなのか、手紙は今も私の書庫に残されている。

 「こんなこともあったよね」と昔をしのんだり、関西のこれからの発展方策など、あれやこれや、胸襟を開いて語り合う相手が突然いなくなった。哀しい。

 折目さんはプロデューサーとしての才能も発揮し、大阪コレクションを開催して関西の若手デザイナーを発掘したり、能村塾をとりしきって若手経営者の育成に取り組んだり、大阪の活性化に地道に尽力された。

 まだまだ、新しい仕掛けを胸のうちに温めておられたはずの折目さんの早過ぎる死。惜しい。
 
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