第三十三回 マニュアルで事故が防げるか

責任感と倫理観の見直しを


(イラスト:Yurie Okada)


 今年(2002年)の年明け早々、東京の脳神経外科病院で、セラチア菌の院内感染のため入院患者7名が死亡した。その後行われた保健所の立ち入り検査で、感染防止マニュアルが不備であったことが判明したと、如何にもそれが大きな原因の一つになっているかの如き印象を与える報道がなされていた。

 同じ頃小生の病院では年1回の定期病院立ち入り検査が保健所によって行われた。色々細かいことを例年指摘されるのだが、今年の指摘事項の中に医療事故防止マニュアルが不備であるとの指摘があった。

 マニュアル、マニュアルと、最近は何でもマニュアルさえ作れば問題解決のようなおかしな風潮がある。 狂牛病がらみで輸入牛肉を国産と偽り公費で買い取らせた雪印食品の詐欺事件にはあきれてものも言えないが、昨年親会社の雪印乳業が引き起こした集団食中毒事件以来、信頼回復のためと称して社員の心得・作業手順などを細かく書いたマニュアルが作られていたそうだ。

 そして今度の詐欺事件。マニュアルの有る無しの問題ではなく、仕事に携わる人間一人ひとりの責任感、倫理観の問題だろう。
 マニュアルに書いていることしか出来ない人間が多くて困る、というのが、近年良く聞く若者に対する苦言だが、医療事故のような複雑な要因が絡む問題を、マニュアル一つで片づけようとする行政の指導には、事なかれ主義の臭いしか感じない。

 院内感染の引き金となる各種の体内留置カテーテルを使用する処置、例えば中心静脈栄養なるものが、その処置の便利さあるいは報酬の高さから濫用される傾向があるのではないか。東京の病院の死亡者7名は、いずれもこの処置を受けていたものだという。

 敢えて誤解を恐れず言えば、快復の見込みもない老年病をかかえた高齢者まで、そんな経管栄養で延命させる医療そのものの適否を論じなければならないのではないか。それが本当に患者の幸せにつながっているのかどうかを再検討すべきではないのか。

 一方事故を繰り返す医者や看護婦がいるのも事実で、医師・看護婦の養成システムに問題があることは周知のことなのに根本的な解決策を講ずることなく、ただ現場に責任を負わせようとするこの国の社会風潮には強い憤りを感じる。

 小生は昭和43年の医学部卒業で、いわゆるインターン闘争を経験した最後の学年だが、この時医学生が問題にしたのは、財政的裏付けもしないまま、名ばかりの臨床研修を義務づけるお粗末な医者養成制度だった。

 学資の保証もしないで良い医者を育てることは不可能であるのに、30年以上も経過して評価に値する改善は無いに等しい。免許証を獲得したばかりの、臨床経験の無い研修医を安い労働力として酷使し、過労死するような過酷な状況に置いといて、期待に応えられる有能な臨床医は育つまい。

    【関西ジャーナル
2002年3月25日号掲載
  

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