第二十七回  医療改革に思う

医療の目的は営利にあらず
皆が安心できる医療が社会の安定を生む



 老人医療費が目の敵にされている。歳を取ればあちこち具合が悪くなり受診回数が増えてくるし入院治療の機会も多くなる。医療費が増えてくるのは当然の話なのに、頻繁に医者に掛かる老人は国賊みたいな言い方をされ始めた。

(イラスト:Yurie Okada)

 最近のY紙では、他国と比べて病院通いをする回数が多いと、まるで必要もないのに通院しているとでも言いたげな報道の仕方だ。

 若くて元気で、自分もやがては老いる宿命であることなど想像もできない記者が書くのか、書かされるのか「コスト意識の欠如した老人患者を医療機関から遠ざけねば、増大する医療費負担で国家が破産する」式の誤ったプロパガンダに踊らされているのか…。

 そんなことを書いている記者自身も、やがて老いさらばえて思い知らされるだろう。体力・気力は衰え、付き合いの輪も小さくなり孤独が身に浸みるようになると、気軽に通院できることで得られる安心・気休めが、「気休めに医者に掛かるのか」と単純に批判できない結構切実な要求であることを。

 いつでもどこでも気軽に医者に掛かれる国民皆保険制度が、病気の早期発見・重症化の予防に役立っていることも認めるべきだ。
 確かに、現在の制度にはコスト意識が働きにくい欠点はある。しかし、この気軽にかかれるという、世界に誇るべき日本の医療保健制度の長所は無くすべきではない。健康寿命世界一の達成にもこれは堅持すべきだ。医療と年金の制度が良い方向に改善されて老後の安心が保証されれば、巨額の個人貯蓄が消費に回されて経済にも明るさが出るのではないか。自己負担金をつり上げて受診率を下げようなどという姑息な政策では、とても明るい展望は開けない。

 小生は小泉内閣の聖域なき改革を基本的に支持する者だが、総合規制会議がまとめた医療分野の改革方針には営利企業の論理が勝ちすぎている印象を否めない。医療に営利企業が参入すれば当然儲かる患者優先の病院経営になるだろう。

 儲けを吸い取った後に放り出された行き場のない患者を、しがない開業医が拾い上げて診ることになるか…。それこそ医療機関の役割分担で、効率的医療には不可欠と言いたいのだろうが、患者をマーケット商品とみなして経営戦略を練るであろう営利企業の魂胆が見え隠れしている。
 巨大な資本力をバックに患者の囲い込みに動く企業が出てくる可能性もある。医療は本来営利を目的としないものだ。

 医療費請求を電子化することによって、無駄を省き効率的な医療を実現しようとの、一見合理的な仕組みも実施されようとしているが、個人情報の垂れ流しは避けがたく、医療人の守秘義務も有名無実となるであろう。

 貧すれば鈍するとは言うものの、せめて、全ての人が安心できる医療が無ければ社会全体の安定も保証されないという基本的合意だけはしておきたいものだ。


    【関西ジャーナル
2001年8月25日号掲載
  

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