第二十六回  病院・医者選び

病院評価の実態は不合理
何でも相談できる患者・医者関係が理想


 読売新聞の長期連載医療コラム「医療ルネサンス」は、現代医療が抱える様々な問題を複眼的切り口で論じていて、現場の人間として教えられることも多い。現在は「病院をかえてみよう」のタイトルの下、病院・医者にもピンからキリまであると患者の体験談を具体的に紹介している。

(イラスト:Yurie Okada)

 最近の記事では、手指が痺れて動かなくなり3軒の医療機関で診てもらったが、3年経っても治らなかったという患者の体験談を載せている。そして、「手の外科の専門医の手術を受けてようやく快復に向かい始めた。医者の能力には個人差が大きいので、その情報を公表する仕組みを作る時期に来ているのではないか」と結んでいる。
 病院機能の向上に役立てようと、近年「財団法人日本医療機関機能評価機構」が病院診断を行っている。最高級の評価を得た医療機関は宣伝のためにその結果を公示する動きが出てきている。しかし先日のコラムでは、最高度の評価を受けた病院にかかったのに実にお粗末な診断・治療しか受けられなかったと、これも患者の体験談を紹介していた。
 病院評価の仕組みの解説はここでは出来ないが、書類審査部分が多く、医者・看護婦その他のスタッフの数が法定数を満たしているかが基本的な評価ポイントの一つになっている。ここに大きな落とし穴がある。
 医者を相撲取りに喩えるなんて不謹慎の誹りを免れないかも知れないが、横綱1人に幕下10人して掛かったって到底かなわないだろう。1人の経験豊かで熟達の名医も、免許取りたての医者の卵も、同じ1人の医者としてカウントされる不合理さを含んでいるのが病院評価の実態だ。病院評価で好成績でも、実際の診療レベル、特に夜間の救急体制に関しては研修医並みということも現状ではあり得るのである。

 そもそも法律が定める医師・看護婦の必要数とは何なのか。ベッド数と外来患者数から自動的に算定されており、そのベッドに収容されている患者の容態や、外来で診療する患者の病気の重症度は全く考慮されていないのだ。風邪やちょっとした怪我人50人診るのにも、難しい病気をかかえた患者50人診るのにも、必要な医師・看護婦数は同じだというのは不合理ではないか。最低限の基準は定めねばならぬが、実状に応じて弾力的に医療行政を進めてもらわねば、無駄な出費が多くなるし、患者に誤った医療機関選択をさせてしまうおそれがある。

 情報公開が制度改革の決め手とよく論じられるが、公開された情報の真偽や信頼性の判断はどうするのか。徐々に制度改善は進められるのだろうが、現在のところ病院選び、医者選びに決め手はないようだ。何でも相談出来て、「この医者に掛かって駄目なら、駄目だ」と言えるような患者・医者関係を築くのが理想なのだが…。

    【関西ジャーナル
2001年7月25日号掲載
  

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