第二十五回 精神異常者の免責

殺人行為そのものが精神異常
生の人間の生活感覚からかけ離れた法理論は間違い


 大阪池田市の小学校で惨劇が起きた。包丁を手にした精神異常の男が低学年のクラスに乱入し、8名の子供を刺殺し10名以上に重軽傷を負わせたとのことだ。報道によると、この男は以前から逆上しやすく、凶行に及ぶおそれを十分感じさせる経歴の持ち主だったという。
 精神異常者による殺人事件はこれまでも枚挙にいとまがないほど起こされてきた。その度毎に、実にやりきれない思いをさせられるのは、精神異常者は責任能力が無い、だから刑事罰を与えることができないのだという法律的判断だ。

 法律のことはよく分からない素人には、人を殺した者は殺されるのだ、としておくのが道徳の基本的原則だと思われるがどうもこの自然な人間的判断が、法律論の下にないがしろにされることが多い。
 殺人をしでかすその瞬間において、精神に異常を来していないと判定される人間がいるであろうか? 小生が思うに、殺人者は全てその行為の瞬間において精神異常だと思う。精神異常であることが殺人者の免責の条件であるならば、全ての殺人者は無罪と言うことになるではないか。
 
 人間が人間を裁くことの困難さはいまさら論じるまでもない。神ならぬ裁判官の裁きなど、どれだけ権威あるものか。まして最近起こった裁判官の数々の不祥事を知らされると、裁判などに人間存在に関わる大事な判断などは、とてもじゃないが任せられないと思う。従って「目には目を」を、人を裁く時の原則とするしかない。人を殺したらあなたも殺されるんだよ、と教えることが道徳教育の基本の一つだと考える。裁判官が下す情状酌量などというあやふやな裁きは、基本的にはあるべきことではない。そんなことを認めればけじめが付かなくなるではないか。
(イラスト:Yurie Okada)

 精神病者の開放療法は理想ではあろうが、現実的に対処することが肝要である。法理論を無視してもいいとまでは言わないが、生の人間の生活感覚から余りにもかけ離れた法理論は間違いであると小生は考える。

 北海道では数年前に、往診に行った家の精神異常者に殴り殺された医者が居た。加害者がその後どういう措置を受けたか詳しくは知らないが、責任能力が無かったという判定がなされ、何の罪にも問われていないだろうことは想像に難くない。

 人権人権と姦しいが、精神異常者の人権の保護のされ具合に比して、普通の人の人権があまりにもないがしろにされている。

 殺人事件にも「了解できる」殺人というのは確かにある。しかし、了解可能な殺人を犯した人間は有罪とされ、場合によっては死刑に処せられる。他方、精神異常者の理由無き殺人は無罪とされ、強制収容もままならない。そんな理不尽な話がありますか。

    【関西ジャーナル
2001年6月25日号掲載

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