第二十三回 医療はサービス業

「患者様」の自己決定権
オランダ「安楽死法」の凄み
如何に死ぬかを考え生きる


 医療はサービス業であり、顧客である「患者様」の自己決定権を尊重して必要な医療サービスを提供するのが医者の務めであると事あるごとに言われるようになってきた。全ての選択肢を説明し、最終的に「患者様」に選択させることがこれからの医療だという。

(イラスト:Yurie Okada)

 小生はどちらかというと古いタイプの医者で、診断・治療には有無を言わせず従わせることもあるにはある。またそれが頼もしくていいなどと言う人も多い。田舎にはまだそんな雰囲気が残っている。手のひらを返したように「患者様」などと呼び始めた最近の風潮には、患者を食い物にする商魂の逞しさだけを感じて、慇懃無礼、イヤーな感じがする。

 その患者様の「自己決定権」は、ついに死の選択にまで及ぶことになった。今月10日オランダで安楽死法が成立したとのことだ。望まない延命治療をさせないということに留まらず、積極的に「より良い死に方」を求めるオランダの人々に、覚めきった理性の凄味を感じさせられる。

 不治の病を抱え苦痛に喘いでいる人を前にして、楽にしてやりたいと思うことはしばしばある。脳梗塞で嚥下がうまく出来ず始終誤嚥性肺炎を繰り返す老人に、鼻からチューブを入れて強制的に栄養注入して延命している例も老人病院ではかなりあるはずだ。
 意味のない延命治療で医療費を押し上げているわけだ。こんなことはやるべきではないと思うが実際には中々理屈通りに事は進まない。数年前、末期の肝臓癌を患った80歳近い老女を看取ったときのことだ。意識が無くなり苦痛の表情もなくこのままで安らかに逝くであろうと点滴もせずに見守っていたら、普段顔も見せなかった娘さんが現れて、「何もしてくれないんですか…」と食い下がられた。説明して分かってもらえたが、まったく理解しない人もいる。

 そうかと思えば、「快復の見込みもないのに何の注射ですか」などと反撃を食らうこともある。「付き合いきれないよ…」と声にもならない叫びが脳天を突き抜ける。

 自力で食べることが出来なくなったら、食べずに自然に枯れてゆくのが一番楽な死に方だ。無理な延命治療はしないように、自分の意思を予め周囲に知らしめておくといい。オランダでは患者の治療拒否権が95年に法制化されており、摂食を拒否する患者に無理に栄養注入する医療習慣は無いとのことだ。

 この度成立した安楽死法は単に延命治療を拒否するだけでなく、積極的に心地よい死を求める権利を保証したということだ。

 相次ぐ医療事故・過誤治療の報道によって、医者・患者の信頼関係が地に落ちてしまい、医者の言うことを鵜呑みにしなくなったのは悪いことではない。医者がよく病状と治療法を説明し、最終的に患者の選択に任せる医療を徹底してゆけば、何時の日にかまた新たな信頼関係が築き上げられるだろう。

 しかしそのためには医者自身が変わってゆかねばならないのは当然だ。患者も勉強して情報を蓄え且つ如何に死ぬべきかを常々考えながら生きねばなるまい。

    【関西ジャーナル
2001年4月25日号掲載
  

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