第二十一回 老年医学の視点

数値の変動に一喜一憂
単純で画一的な医療に問題
個々の死生観に配慮した対応を


 毎日数々の健康不安を抱えたお年寄りたちの相手をしていると、どうしてゆったりと自然の命の流れに身を任せ、もう少しあずましく毎日を過ごせないものかと慨嘆することが多い。

(イラスト:Yurie Okada)

 血圧の変動に一喜一憂し、コレステロール値と中性脂肪の高値を心配し、骨量の減少を悲しみ、挙げ句の果てに出る言葉は「どこにも良いところが無くなった」である。まだまだ良いところが有るから長生きしているんだよと話しても、とにかく数値の異常が気になるし、どんな些細な症状も許容できない。これには医者を含めて保健対策にかかわる人間たちの余りにも単純で画一的で、専門性に毒された言動に大なる責任がある。

 例えばこうだ。動脈硬化学会の決めたコレステロール値の標準値というのがあって、この値を少しでも超えていると、コレステロールが高いから薬を飲みなさいと殆ど自動的に薬が処方されるシステムになっているようなところがある。
 標準値以下にしておかねば心臓血管系の病気で命を縮める確率が高くなるので飲ませるのが医師の責任だし、飲むのが健康を指向する人間の常識だ、と言わんばかりの雰囲気だ、IT革命と称して医療の分野でもコンピュータが必須のツールになっているが、治療の画一化に一役買っている。
 高齢者のコレステロール値がどうであればいいのか本当のところはまだ分からないのだ。こんな高齢化社会になったのは有史以来の初体験なのだから。北欧のある国のデータからは、コレステロール値の高い群の方が長生きするという正反対の結論さえ導き出されている。

 これはほんの一例でお年寄りを不安に陥れる材料は他にも沢山ある。その原因は、これまでの近代医学の主流が臓器主導型とも言うべきもので、異常な臓器を見つけだしてその臓器を治療しさえすれば全体としての健康も保たれるはずだとの思いこみで研究が進められてきたためだと思う。
 勿論これによって素晴らしい医学の進歩が達成され、人々の健康増進に多大の貢献をしたことは紛れもない事実ではある。しかし高齢者の医療・介護の現場ではこの臓器主導が禍し、却ってお年寄りの不安をかき立てている側面が目立ってきたことも否定できない。
 お年寄りが全て長生きしたいとばかり思っているわけでもないようで、個々の人間の死生観に配慮した対応が最も大切だと思う。コレステロール値を正常化させたからといって必ずしも健康で幸せな人生に結びつかないし、様々な病気を抱えながらもそれと上手に付き合いながら、心安らかに与えられた命を全うする人もいるということだ。
 ただただ病気を治すことだけに専念する健康ノイローゼのお年寄りたちに、そして複数の専門科から処方される臓器別の薬を、適当に合わせ飲むことが健康になる道だと錯覚しているお年寄りたちに、「病気をしないことや病気を治すことが人生の目的ではないでしょう。健康診断の数値など重大に考えすぎてはいけませんよ」、などとやや逆説的な話をする機会の多いこの頃だ。
 大方のお年寄りには敬遠されるが、たまに納得してくれる人があると嬉しい。


    【関西ジャーナル
2001年2月25日号掲載
  

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