第十七回 日本医療の危機
劣悪な医療労働環境の見直しを
開業医・外科医が減少
マスコミ、政財界の意識改革を


 日本の医療は江戸時代から開業医が担ってきた。その開業医が地方では近年急速に消えつつある。高齢化して廃業したり亡くなったりでどんどん減少する一方、新たに開業する若い医者が居ないからだ。全国的には医者の数は増えているのだが、専門医志向が強く一人で総合的な診断・治療を行う一般医が育たないので、田舎で診療できる医者、またしようとする医者が少なすぎる。

 都会ではグループで開業する若い医者が結構増えているようだが、問題が無いわけではない。例えば産婦人科を含め外科系の分野で医療訴訟が圧倒的に多いが、いつも医者や看護婦の個人的な落ち度を追及するだけでそれを生んだシステムに欠陥は無いのかという問いかけが弱いので事態は改善せず、若い医者はそのようなリスクの多い診療科を選ばなくなってきているという。

 外科学会でも若い医者の外科離れを憂慮している。外科医が居なくなって困るのは結局は外科的疾患を抱えた多くの患者なのだが、その危機感が伝わってこない。この何年かのマスコミの論調は医者さえ叩いておけば医療は良くなるというようなもので、医療の仕組みを根本的に改善しようとする姿勢は見られない。医療事故がおこれば、責任追及だけは厳しく訴訟の数も急増しているが、何故こんなに事故が続発するのか客観的に医療の仕組みを見直す動きは鈍い。

 医者も人間。人間は間違いを犯すものだ。どの世界に間違いをしない人間が居るのものか。一般庶民から政府の高官まで毎日間違いを繰り返しているではないか。大事なことは間違いを単に個人の責任に帰するのではなく、それを最小にするためのシステムを作ることだ。作業マニュアルを作りましたで済むことではなく、もっと根本的に作業環境を見直す必要がある。これはもう一つの「環境問題」なのだ。

 日本の医者や看護婦がどんな厳しい環境で働いているか、一般の人は知っているのだろうか。医療費高騰を大声で叫び危機感を煽って、医療費の抑制に政財界はやっきになっているが本当に日本の医療費が高いのか、公平に検討した調査は目に触れにくい。3時間待って3分間診療というのが日本の医療サービスの劣悪さを表現する決まり文句の一つになっているが、その責任を医療関係者に押し付けるだけでなく、何故そうならざるを得ないのかを根本的に考えない為政者やマスコミにはいつも失望させられる。
(イラスト:Yurie Okada)

 大多数の医者は、元気になって喜ぶ患者の顏を気持ちの支えにして仕事を続けている。不正請求までして金儲けに奔走してるのが医者の姿であると、殊更医者を悪者に仕立てて患者・医者の間の信頼感を破壊してきたのがマスコミだが、医者の立場からするとこれは全部が全部不正請求ではなく、現実に行った医療行為に対して、支払機構が査定と称して支払いを拒否したものが含まれている。いわば医療費の踏み倒しであって、医者が泣き寝入りしているだけだ。交通違反の摘発ノルマのように、診療内容にけちをつけて値切るための専門業者さえいるという。

 日本の医療費は国際的に非常に安い。驚くほど、安い。このことを医療関係者自身が知らない。だから少ない人員、安月給で夜も寝ないで働いているのに、サービスがなっていないなどと理不尽な非難を受けるのだ。昨年だったか千葉県で小児科医が過労死したが、国民の健康を守る医者をこんな劣悪な労働環境に放置しておいて、どうして国民の健康を守れるのだ。

 医療の環境問題を、ただ帳簿の帳尻合わせをするだけでなく、国民の健康を守るという事業に果たしてどれだけの費用が必要かを、現在の国民の要求レベルに照らして、感情論を廃して検討することが必要かと考える。理想的な医療環境を人も金も出さずに実現しようなどと虫のいいことを考えぬ方がいい。

    【関西ジャーナル
2000年10月25日号掲載
  

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