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浄土真宗仏光寺派・元学監、藤谷秀道師の法話の席に座したのは、かなりの部分娑婆の付き合い故であった。
ある勉強会のあと、何人かのメンバーが場を改めて懇親をしていた。里井達三良さんの項(第37〜40回)で紹介した『おおさか21』で、当時、新参の私は、言われるままに先輩メンバーのお供をしたのだろう。たまたま宗教の話が話題の中心になった。企業人が多いのに、ここから宗教論が飛び出るとは意外なり、と思いつつも、実は私もこの問題には大きな関心があった。最若年の立場を顧みず、その議論の中に積極的に入っていった。
とくに母方の家系に篤信者が多かったせいか、幼児時代から、自然にお釈迦さまや親鸞聖人に触れる機会が多かった。その幼児体験が、何故か突如として私の心に蘇ってきたのは、社会人になって3年余、20代の半ばであった。
と言っても、本格的に仏教や浄土真宗の勉強をするわけではない。単なる人生論・人生哲学を学ぶ一環として、親鸞聖人に関する書物を読みあさる、その程度であった。しかしそれでも先輩諸氏との宗教談義は非常に刺激的だった。
そんなとき、この席におられた先輩メンバーの佐々木英彰さん(当時住友電工経営企画本部長・後常任監査役)から、「どんな本を読んでいるの?」と声をかけられる。佐々木さんは住友電工の財界スタッフのお一人で、多少の面識はいただいていた。その気安さもあり、とうとうと私の読書論を述べ立てた。
例えば、「いわゆるお坊さんの親鸞本は我田引水、教団PRの臭いがして一切読まない。いわゆる文化人と言われる人たちが、自由に親鸞論を展開する方に興味が注がれる」などと。
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実はその頃、私はまだ佐々木さんが会社勤めと浄土真宗仏光寺派常光寺住職を両立されている方とは知らなかった。その佐々木さんの前で随分大胆なことをまくし立てたものと今さらながら、顔が赤らむが、知らぬが仏、その誘導尋問にはまってかなりの熱弁振りを発揮したものだった。
そして私の親鸞論が終わるのを待って佐々木さんが口を開く。
「そういう人たちの本を読むのも決して悪くはないが、それだけで親鸞聖人も『歎異抄』も理解できるものではない。一度、君が毛嫌いしている坊さんでも、"長老"といわれる高僧の話を聞く気はないか?
長年、そのことばかり考え、修行し、かつ死を意識するような年代のお坊さんの話には、やはりそれなりの重みがある。親鸞について勉強しようと思うなら、是非そういう方のお話を聞くべきだと思うよ」
先ほどまでの私の熱弁は一気に吹き飛ばされた感じがした。何せ私自身の勉強法がやんわりとではあっても否定され、その上、あまり乗り気ではないお坊さんの話を聞けという。私の鼻っ柱は脆くも折られたも同然だった。しかも、「近く私の寺に、文字通り高僧がお越しになる。聞きに来ないか」ということであった。
ここで漸く、佐々木さんが僧侶であることを知ったのだが、日曜日のお寺参りはやはり抵抗がある。といって、無碍に断る勇気もない。思案のしどころだが、しかしすでにその頃から「出会いは自力で演出できるものではない。他の大きな力からの贈り物であり、それを粗末に扱ってはいけない」を持論にしていた。当然ながら「お坊さんのお話には共感できませんが、佐々木さんのお薦めですから、伺います」と応えていた。
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