第二十七回 「若さ(下)」
 年齢を超えた"若さ"
 サミュエル・ウルマン『青春』に勇気を得る

 老いも若きも、年齢を超えた"若さ"に触れる時、どうしても避けがたいのがアメリカの詩人サミュエル・ウルマンの『青春』という名の詩である。
 この詩については、すでにこのシリーズ第7回でも取り上げた。熟年世代の多くがこの詩に勇気を得、新たな青春を謳歌する。私もまた、これに刺激された一人であり、前回紹介の後、「感動した。詩の全文を教えてほしい」の問い合わせもいくつかいただいた。そこで再度、その詩の全文を載せることにした。

 青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。


 逞しき意志、優れた創造力、燃ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春というのだ。


 年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、恐怖、失望、こういうものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。


 年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生の歓喜と興味。


人は信念と共に若く

疑惑と共に老ゆる

人は自信と共に若く

恐怖と共に老ゆる

希望ある限り若く

失望と共に老い朽ちる


 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。
 この詩をいつ頃知ったのか記憶にはない。ただ、尊敬する経済人のお1人である太陽工業の能村龍太郎会長から、ある時、「興味があれば読んでみたら」と、この詩のコピーを渡された記憶がある。やはり能村さんが敬愛して止まない経済人、「電力の鬼」といわれ、戦後の電力再編に尽力された松永安左ヱ衛門翁が「戦後間もなく、日本に駐留したアメリカ軍のある将校から教えてもらったもので、松永さんが非常に感動して、自ら翻訳したものだ」というお話だった。

 30歳代の終わりの頃だったと思う。世間的に言えばぼちぼち青春時代に終止符を打ち、壮年に向かおうとする頃である。「読ませていただきます」と気軽に受け取ったのだが、一読して、私もまたその詩に感動し、消え失せつつある青春の血潮を取り戻した感じがした。
 以来このコピーのコピーを随分多くの方にさしあげた。ある経済人の集まる新地のクラブでは、そのコピーをさらにお客さんに配っていたから、私が発信元になったものだけでもかなりの枚数になっている。
 やがてこの詩を東洋紡績の宇野收元会長(故人)が知り、日本経済新聞のコラムで紹介したことから経済人の中に一気に広まる。

 「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる」「人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」のフレーズには、衝撃的な勇気を得た。とりわけ「人は信念と共に…」からの3フレーズは印象深く、廣慶太郎クボタ相談役(当時)にお願いし揮毫いただいた。毎夜、写経を欠かされたことのなかった廣さんは、「三行書き写すのも全文も同じだから…」とおっしゃり、全文を書き取り贈っていただいた。その額はいまもわが事務所の中央に掲げてある。

 10代、20代、そして30代に青春の血をたぎらせるのは当然といえば当然である。しかし前回紹介させていただいた60代、70代、80代の諸先輩が、いまだ衰えぬ青春を謳歌しているのを見ると、ただただ畏敬の念を感ぜざるを得ない。私自身、いつの間にやら還暦目前の年になった。この項は、読者の皆さんへのエールであると共に、私自身へのエールでもある。

ご意見・ご感想をお待ち申し上げております