第二十六回 「若さ(中)」

 生涯青春・生涯現役を実践

 挑戦し続ける若さに驚嘆

 若い人たちの"若さ"がまぶしく、そして微笑ましいものなら、青年期を終え、壮年期、老年期に入ってもなお若さを失わず、目標に向かって走り続ける先輩たちの後ろ姿には、頭が下がり、尊敬の念が自然に湧き起こってくる。
コシノ3姉妹ジョイントコレクション
(昭和57年11月

 これまでこの欄に紹介させていただいた先輩方のほとんどがそうである。証券会社の役員を退任してから、一切の公職から身を引き、関西師友協会副会長として人間学を中心に青年教育に情熱を燃やす豊田良平さんは大正9年のお生まれ。
 60歳を機にご子息に経営を譲り、少年時代からの夢だった歌手の道を邁進する荒尾一夫さんは昭和7年生まれで、来年は古希を迎える。

 大正11年生まれの能村龍太郎さんは、世界最大の膜構造企業を興した立志伝中のお一人。なお大所高所から経営に関わるが、常に夢を追い、若者もびっくりの奇想天外な夢を描いてはその実現を真剣に考える。例えば、「台風やハリケーンの発生を阻止できないまでも、その勢力を抑える工夫が出来ないか。それが出来れば世界の多くの人が救われる」と。戯れにもそんな発想をすることのない私は驚嘆するばかり。

 15年も「大阪コレクション」に関わって、本当に多くのファッションデザイナーに出会ってきた。クリエイターと称されるデザイナーの感性は若く、人生が躍動している。そうしたの中での極めつけは、やはり小篠綾子さん・コシノヒロコさんの母娘である。

 小篠綾子さんは、ご存じコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコ3姉妹の母親で大正2年生まれ、この夏、東京と大阪のホテルで盛大な米寿の御祝いを開いている。

 その小篠さんのキャッチフレーズは『生涯青春・生涯現役』で、言葉通りの現役ファッション・デザイナーであり、「ライバルは娘たち」と言い切る。1991年の第5回大阪コレクションでは、78歳の現役デザイナーとして出品、文字通り大評判をとった。
 数年前、困難な病に悩まされたが、「必ず治してみせる。現役はまだまだ辞めない」と闘病、見事に完治させている。その精神力にはただただ脱帽する。意志の強さ、それがこの方の若さの源泉だろう。
 だがそれだけなら、単なる"若さ"で終わってしまう。そこに私が尊敬の念を感じるのはその精神力、意志力に"感謝"の心が根差していることである。クリスチャンとしての信仰心がベースにあるのかも知れない。とにかく「皆さんのお蔭で…」と言う言葉が頻繁に飛び出してくる。
 世界的に活躍する3人のトップデザイナーの母である。多少の自慢は許されるところだが、「私は何もしてませんねん。勝手に育ってくれたんです。そやから娘たちにも感謝してますし、娘たちを育て、支援していただいた方々のお蔭なんです」。
味のある言葉である。

 綾子さんの長女、コシノヒロコさんもまた若い。もちろん60代半ばを迎えるベテランデザイナーだが、出会ったおよそ20年、常にその若さに驚き、感心する私である。
この方もまた、生涯現役を実践すると思われるが、つくづく若いなあ、と実感したエピソードがある。
 1997年3月、春の「大阪コレクション」で、コシノさんは『コシノヒロコと100人の男たち』のテーマで、メンズコレクションを披露した。コシノさんの知人や友人がモデルとなり大反響を呼んだショーだった。そのモデルの1人に、ヤングファッションの旗手として人気絶頂の中川正博君を起用していた。
 その時の、コシノさんの一言が印象に残った。
「中川君には、彼がびっくりするようなものを着せようと思うの」
 中川は前回のこの欄で紹介した大阪コレクションからデビューした若手で、コシノさんから見ると息子のような存在である。その彼をモデルに起用したのはもちろん親心なのだが、同時に同じデザイナーとして、ヤングファッションのカリスマデザイナー・中川への楽しい挑戦でもあったのだろう。常に挑戦し続ける若さをその言葉に実感した。
 また、より良いものを創ろうとするクリエイター魂も旺盛である。大阪コレクションの運営でも、閃けば、時間や資金に関係なく、「やってみよう」となる。その都度悩むのは、運営事務局を預かっている私なのだが、その感性と行動力、そしてそれに伴う厳しさがこの方の若さの秘訣なのかも知れない。

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