第二十五回 「若さ(上)」

常識に縛られない実行力に乾杯!

若朽化した時代に 夢を語れる若者たち

 若さとは素晴しいもの。地位も名誉も、さらには金や学歴がなくても、ただそれだけで人生の強力な武器になる。若い人たちが大いなる夢を語り、未知に挑む姿勢に接すると、ついついこちらの心も豊かになる。

 近年、若い世代に溌剌とした夢がなくなった、と言われる。私も、その世評を否定するものではない。

 「老朽」(老いて朽ちる)という言葉があるが、その一方に「若朽」(若くして朽ちる)という反語もある。夢も目標も抱かない(抱けない)「若朽化」した若者を見ることが残念ながら少なくない。だが、そんな時代だからこそ、時に大いなる夢を語る若者に出会うと、ついついこちらもうれしくなる。

 衆議院議員で、将来有望な若手政治家として嘱望される樽床伸二代議士に出会った時も、彼から無限のエネルギーを感じ取った。
 それまでにも何度か会っていた。だがゆっくり話が出来たのは、彼の29歳、衆院選に初めて出馬を表明した直後だった。その時彼は、常識的に誰が見ても無理な戦いに挑んでいた。そして予想通りというか、一敗血にまみれる。
 だが彼は、こんな苦渋を味わいながら、決して闘志を失うことはなかった。相変わらず「現代日本の坂本龍馬になりたい」、「政治家を目指すからには、目標は総理大臣に」と語って憚らない。そんな彼の若さがまぶしくもあった。
 その後彼は2回目の挑戦で政治家への道を歩みだし現在3期目、文字通り民主党の若手リーダーの一人として活躍していることは周知の通りである。だが彼の夢の実現はまだまだ先にある。

 わが国のヤングファッションをリードする山下隆生、中川正博 & Licaと出会ったのは1991年、92年だった。大阪コレクションが「新人ステージ」を開設した91年に山下は出品、中川 & Licaも翌92年にデビューした。
15年間も大阪コレクションに関わりながら、未だにファッションには暗い。しかし多少人を見る眼は持っており、その眼から見ると、彼らは出会いの頃から、光り輝く、気になる存在だった。ともに20代前半の若さであった。
 山下は大学の建築科在学中にファッション界に転じた経歴を持つが、それだけにファッション界の常識には無頓着で、その枠にとらわれない。大阪コレクション出品でその才能を評価された後、数年大阪で活動し、実績を積んでいく。
 普通、次のステップは東京進出となるのだが、彼にその意識はなかった。一気にパリに飛び、パリコレクションの期間に合わせ、自作のコレクションを発表する。そしてパリのジャーナリストに認知された彼は、帰国後ヤングファッションのスターダムに上り詰める。

 中川正博 & Licaも気になる存在だった。美術専攻の中川とデザインを学んだLicaの2人で作るメゾンが「20471120」。社名であり、ブランド名である。そのネーミングだけでも常識人の私などは首を傾げるのだが、それを平然とやってのけるところが、常識に縛られない自由人たる由縁でもある。
 物怖じせず、思うところを思うままに表現する。ある時、「若い人たちと話をしたい」という大阪コレクション開催委員会の能村龍太郎実行委員長と会食したとき、Licaは、「愛」について能村委員長と熱い議論を展開、一歩も引き下がらない。能村さんも、引きずり込まれ、孫のような彼女と徹底討論、立会人の私を大いに喜ばせた。
 中川は、ファッション界に入って以来、1つの疑問を持ち続けていた。「コレクションの発表の仕方は多様であっても良い」と。ホールやホテルにステージを作り、モデルがしゃなりしゃなりと衣裳を身につけて歩く、それ以外の方法はないのか、という疑問だ。
 「きっと、先輩の誰かがその常識を破ってくれる」と待っていたが、誰もそれにチャレンジしない。そこであえて自ら挑戦する。以後、閉鎖したゴルフ練習場跡地、公園、大雨の中でのヘリポートで、と次々に場所を見つけ、サーカス公演とジョイントしたファッションショーも成功させた。

 彼らの、常識にとらわれない感性と勇気、そして燃えるような情熱と実行力がまぶしく感じられた。これが「若さ」というものだろう。そのパワーに乾杯!

ご意見・ご感想をお待ち申し上げております