第二十三回 「機を活かし、変に応じる」

腹のすわった胆力ある見識が胆識
  抵抗・障害が胆識を生むエネルギーに


 『関西ジャーナル』平成13年10月15日号の1面に、関西師友協会・豊田良平副会長のインタビュー記事を掲載している。先行きの予測困難な激変期、その生き方をたずねたものだ。解説の意味で補足と感想をまとめた。

 このインタビューで豊田副会長は、最初にこの時代を「活機応変の大変化の時代」と把える。聞き慣れない言葉だが、これは"臨機応変"を転じさせたご自身の造語で、「変化の機を活かし、その変化に応じていく」という意味である。
 だが、そうは言われても、簡単にその変化をどう活かし、応じていくのか、わかるものではない。そこで応変するために何が求められるかと問うと、「信念と実行」というキーワードが飛び出した。「信念」とは目標、つまりターゲットであり、それを志しと表現してもいい。また「実行」とは文字通り行動に移すことであり、さらにその「信念と実行」を支えるのが、心身ともの「健康」だと指摘される。

 もちろん、闇雲に実行したとて、機を活かし、変に応じることは難しい。それでは行動中に挫折するのが目に見える。そこで出てくるのが、豊田副会長の持論である「胆識」である。
 「知識・見識・胆識」と言われる。知識の人とは単なる物知りに過ぎない。それだけでは戯ごとを楽しめても、機を活かし、変に応じるには全く役立たない。
 そこで「見識」がでてくる。自ら得た知識も、それに基づいた目標、あるいは理想を持つことで、反省や批判が起こり、物事を判断する力が身についてくる。それが「見識」である。
 だが、それだけでもまだ不十分なのだ。当然、何事も行動に移さなければ、そこからは何も生まれない。ましてや、変化に応じるエネルギーは生まれない。そこで出てくるのが「胆識」である。

 この胆識をどう身につけるか、それがポイントである。そこで豊田さんはおっしゃる。
 「仕事はもちろんそうだが、何か行動を起こそうとすると、必ずそれに対する抵抗や障害が生じてくる」。人が、その抵抗・障害を排除し、乗り越えようとしても判断力、つまり見識だけではどうにもならない。そこで次のようにも言われる。
 「男は度胸という言葉があるが、そうした抵抗や障害を乗り越えるためには、単なる見識ではなく、腹のすわった胆力ある見識が必要になる。それが胆識と言われるものです」。
 つまり、見識とは物事を判断する力であり、胆識とはそれを実行する力、と表現しても良いのだろう。

しかし、「ではどうやって、その胆識を養うのか」の疑問が残る。それを問うと、また次の言葉が返ってきた。
 「場数を踏んでトレーニングを積むことです。失敗を恐れず、勇気を持ってターゲットに向かっていく。こうして一所懸命に努力するうちに、それが自然に身についてきます」。

 確かに世の中には、腹のすわった人がいるものである。その方々に共通しているのは、何度も何度も抵抗・障害にぶつかり、それを乗り越え、ものごとを成就させていることだ。身に降りかかった抵抗・障害を乗り越える過程で、自然に胆識を身に付けたのだろう。
 その意味で抵抗・障害こそ、胆識を生じさせるエネルギー源なのだ。先行きの読めない、不透明な時代には、予測し難い抵抗・障害が渦巻く。だがそれが大きければ大きいほど、身につける胆識も大きくなる。ものは考えようである。

 私事ながら、この会社を興して21年。私を取り巻く環境もまた順風満帆とはいかなかった。むしろ抵抗・障害の大きい道程であった。その中で最も大きな抵抗は、やはり創業間もなくの商法改正であった。
 社歴の浅い当社にとって上場企業の広告取引がストップするこの改正商法は大打撃だった。一時は債務超過に陥り、いつ倒産しても不思議のない状態が続いた。

 だが不思議に私には、恨みも悲壮感もなかった。何故かこの事態を、「天が私に与えてくれた試練。これを乗り越えられないのなら、自分もそこまで。志を捨てたら良い」と、極めて楽観的に受け止め、仲間にも事あるごとに訴えた。そこにこそ、当社が今日まで継続した源泉があり、またその体験が、多少とも私に胆識を授けてくれたのかもしれない。

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