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私自身がその平澤語録に、大きな感銘を受けていた。そして手元に何冊かを置き、志を同じくする方々に贈呈していた。たまたま荒尾さんもそのお一人だったが、数日後、丁寧なお礼の電話をいただいた。「感銘した。非常に勇気づけられた」という内容であったと記憶する。
そのころ荒尾さんは、ご子息を後継者に決め、経営の第一線から退くことを考えていた。少年時代から憧れていた歌手の道に進みたかったからだ。しかし「五十の手習い」とはいえ、不安の方が大きい。今ひとつ決断できない何かを感じていた。『生きよう今日も喜んで』に出会ったのは、ちょうどその頃だった。
平澤先生は明治33年新潟県生まれ。京都大学などで解剖学を学び、この分野で世界的権威といわれていた。昭和21年に母校の京都大学教授になり、その後、教養学部・医学部長を歴任、昭和32年から同38年まで同大学総長を務めている。
医学分野で日本学士院賞を受賞する一方、論語を始めとする中国古典にも親しみ、『人の命と道』『燃える青春』『論語を楽しむ』など、人間の生き方を示す多くの著書も記している。
『生きよう今日も喜んで』もその中の1冊で、平澤先生を師のお1人とされてきた豊田良平・関西師友協会副会長が、その平澤語録を1冊にまとめたものである(関西師友協会刊)。
さて、その書の中に次の語録が収録されている。「60代にはいると、一応還暦をすまして、まあ人生のフルコースをすませて、いよいよ20年の精進がいる。それから娑婆を離れた、楽しい人生の修業(修行)が始まる。70歳で新しい人生を開き、80歳になって、人生の頂点に達する」。 |
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「80歳でまた第3の人生が始まる。より輝きのある人生、拝まずにはいられぬところの人生が始まる。この人生がどこまで行くのかはわからない。それは何か神々しいものが輝いている感じである。本当に人生を楽しむのは80歳からである。…この歳になって、がっくりする人と、新しい人生に燃える人が出てくる」。
この文章を発見して、荒尾さんは大きな勇気をもらったのだという。
一般的に60歳というと企業人としては定年の時期。人によっては一応の人生の決算期である。しかしその決算期をどう読むかで大きな差が生じてくる。
「もう、自分の人生は終わった」と見るか、「これから、20年の新しく楽しい人生の修業が始まる」と理解するかである。
当時荒尾さんは、60を新しい人生のスタートの歳と受け止める。いよいよ少年の頃から憧れた歌手への道をスタートさせる。そのために、ご子息への経営委譲を始めとして、60歳までの引継ぎ設計を綿密に作り上げた。
そして60歳をもって経営の一切を譲り、歌手生活に専念する。すでに一度、歌手宣言とも受け取れるリサイタルを大阪・中之島のリサイタルホールで開いたことがある。そしてプロデビュー9年目の今年、大阪最大のホールである「朝日フェスティバルホール」でリサイタルへの挑戦となる。
その本番の日、荒尾さんは満69歳になる。だがとてもそのお歳には見えない。若さの秘訣は、必ずしもその風貌にのみあるのではないだろう。新たな人生に燃やす火を、その心に宿しているからだろう。
長寿社会に入ったわが国。その1つの生き方を荒尾さんから学んだ。 |