第十七回 「運命と立命」

素顔の紳士録  立命あっての運命
     『素顔の紳士録より』−1−



 弊社21周年記念事業の一環として写真集『素顔の紳士録』を発刊した。大阪在住の写真家・生原良幸氏の撮り下ろした大阪のリーダー34氏の素顔と、各氏にかかわる私(折目)のエッセイで構成しているが、それは34氏から学んだ私の人間学の集大成でもある。そこで、ここしばらく、『素顔の紳士録』から学んだ人間学を連載したい。

 同書の撮影、そしてエッセイ執筆を通して、34氏から改めて多くの人間学を学んだ。中でも強く感じたのは、「人生とはままならぬもの。しかし、その人の生きよう、あるいは意志の持ちようで、人生は良くも悪くも変わる」という教訓であった。
 「運命と立命」との関わりである。
 宿命とは、人智を超えた定め。たまたま墜落した飛行機に搭乗していて命を落とした、という偶然。これは人智ではいかようにも仕様がない。まもなくその日が訪れる広島・長崎の原爆投下の日。たまたまその街中にいて災禍に遭うことも人智を超えた宿命だろう。 
 一方、「これも運命さ」と、我々凡人が諦めの逃げ道に使うことが多い運命。しかし識者は、「運命とは命を運ぶということであって、人智で避けられないものではない」と教える。
 「自分の人生はこんなもの」と感じていたその人生が、その人がある使命を自覚したときに、新しい運命が築かれる。このことを先哲は「立命」という言葉で表す。自ら命を立てるということである。立命館大学の校名の由来もここにあると聞く。
 写真集に登場された34氏の人生を見ると、すべてがすべて人生の1本道を順調に歩まれているわけではない。むしろ挫折の中からそれぞれに新しい人生を築き、大成されている方が意外に多い。正しく自ら立命することによって新たな人生を拓き、成功していった方々が多いのに驚きさえ感じる。

 稲盛和夫京セラ名誉会長はじめ多くの経済人が人生論のバイブルの一つにしている『陰隲録(いんしつろく)』という中国の古書がある。著者は中国・明の時代に生きた袁了凡という軍人であり政治家であり学者でもあった人である。その書の中に「運命と立命」を考えさせる逸話が紹介されている。
 以下、安岡正篤先生講話録『運命と立命ー陰隲録の研究』からその触りをご紹介させていただく。
 代々医者の家系に生まれた了凡だったが、その父は早く死に、彼の少年時代には家勢は衰えていた。このため密かに心にしていた進士試験(現在の国家公務員試験)を受けて出世街道を歩む余裕がなかった。
 そこで家業である医者への道を歩むのだが、そうこうしていたある日、偶然にであった老翁から彼は「君は仕路(官吏)、即ち役人生活をする人である。来年は科挙の学問をどんどんやるようになる運命にある。どうしてその道の勉強をしないのか」と諭される。
 そこで、老翁を家に案内し、母にその旨を話し、さらに「数を試みる(運勢を見てもらう)」と、それまでの人生のことごとくが当たっている。それではということで一転、進士への道を歩み出す。
 さらに何歳でどの試験に何番目で合格し、どの様な役所に入り、どれ程の禄を貰い、最終は地方長官にまで出世し、何歳で死ぬ。また生涯子供には恵まれない、といったことまで、老翁は占ってくれる。
 なる程、その後の了凡の人生は老翁の占い通りに進み、何度かの試験にパスし、確かに進士の出世街道を突っ走る。
 そこで彼は「人間は進むも退くもちゃんと運命が定まっているのだ。出世の遅い早いというようなこともみな運命で決まっていることなのだ。いくらやきもきしてもなるようにしかならぬのだと堅く信じるようになり、それ以来、ああしたいこうしたいいうような欲がすっかりなくなってしまう。というよりそういうものを諦めてしまった」のである。
 一見それは、人間本来解かれることのない欲を捨てた「悟り」にも似ていた。しかしそれは、決して本来の解脱の姿ではなかった。ある日、南京の棲霞山(せいかざん)に雲谷禅師を尋ねた了凡は、悟りを得たつもりになっている心境を一気にぶち壊される体験に出会う。

=つづく=

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