第十六回 「女画れり」

 自分の力を限るなかれ!
      −無限を信じる力が常識を超える−


 前回、当社が出版準備中の『素顔の紳士録』に関連して、「顔」について思うところを記した。そしてこの作業は、今一つ私に貴重な教訓を授けてくれた。新井正明・住友生命保険名誉会長から幾度となく教えを受けている「女(なんじ)は画(かぎ)れり」(『論語』)の言葉を私自身の体験の中から思い知ることになったのだ。

 新井さんは若き時代の自らの体験から、『論語』の中にある次の言葉を大切にしておられる。
 「子の道を説(よろこ)ばざるに非ず、力たら足らざればなり」
 「力足らざる者は中道にして廃す。今女(なんじ)画(かぎ)れり」
 孔子とその弟子の問答で、弟子が「先生の道を好まないわけではないが、私には先生ほどの徳も力もないから、そんなことはできませんよ」という。
 すると孔子が「やってみた結果、どうしてもできないというのであれば、途中で駄目になってしまう。しかしお前は最初からできないと見切りを付けているのではないか」と弟子を諭す師弟問答である。

 戦争末期のこと。勤務する住友生命にも戦死保険金の支払い請求が殺到し、3〜4000件たまったことがあった。そして保険金課長だった新井さんに、担当重役から「1週間で支払ってしまえ」の命令が届いた。
 しかし、新井さんは「そんなことはとても無理」と思い、「1週間ではとても支払えません」と答える。
 正直そう思ったからだが、そうすると上司から「泊まり込んでやればできないことはないだろう」というようなことを言われたのだ。
 その時は、「そんなことを言ったって人手も足りないし、出来ないことは出来ないのだ」と思ったのだそうだが、それからずっと後になってこの『論語』の言葉を読み、「ああ、あの時は女(なんじ)画(かぎ)れりだったな」と、内心恥ずかしく思われたという。

 今回私は、それほど大層な仕事をしたわけではない。ただ冒頭に紹介した写真集『素顔の紳士録』を企画するにあたって、そんなに自信があってチャレンジしたわけではなかった。むしろ自信はなく、面倒で、しかも大変な仕事と考えていた。
 だから、少なくとも作業の前半は、親しくなった写真家への支援ほどにしか考えていなかった。だが作業を進めるうちに私自身も乗ってしまい、最終的に、間もなく出版される中身の濃い内容になったのだ。
 7月の出版の段階で登場いただいたすべての皆さんを公表できるはずだが、その内容は、私が当初に想定したよりもはるかに充実し、関西の多くのリーダーの皆さんにご協力をいただいた。当社の実力を超えた立派な出版になると考えている。
 また、中には、「お願いしても無理だろうな」、と思っていた方々も何人か含まれている。残念なのは人数に制約があり、他にも登場いただきたい方が多くおられるのに、失礼することになったことである。

 結果として、当社の力を画ることなく挑戦したことが、実力以上の内容を生みだしたのだが、着手当時の私の心理は、まさしく「女画れり」であった。
 取材をしていて、このような事実に何度か遭遇する。
 ある若いファッションデザイナーから教えられたことがある。
 ファッション業界のセールスプロモーションの最も効果的な手段はやはり春と秋に年2回のファッションショーを開催することである。しかしこの若いデザイナーは思い悩んでいた。
 「ホールやホテルの限られた室内スペースにステージを設営し、その上を新作の衣装を着たモデルがしゃなりしゃなり歩く。ファッションショウの形にはこの方法しかないのかをいつも考えていた。しかし、そんなことは誰か先輩たちが気付き、改新することだろうと思っていた。私の任ではないと思ったからだ」
 しかし、先輩たちは誰一人として従来の考えを変えようとはしなかった。それなら、と彼は自ら新しいショー形態を考え、実行する。公園やヘリポート大空間を使ったり、サーカスとファッションの競演にもチャレンジした。その実績が、少なくとも若いデザイナーたちからショーの常識(固定概念)を取り払ってしまった。
 彼の自らを画らなかった実行力が世の常識を変えてしまったのだ。若い人たちの行動力から学んだ教訓であった。

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