第十五回 「顔」

 顔は心を映す鏡−心を養えば良い表情に−


 弊紙の創刊21周年記念事業の一環として、『素顔の紳士録』の編集作業が進んでいる。大阪の政・財界、さらに文化人を中心にリーダーたちの人間性溢れる素顔に、ポートレートとエッセイで迫ろうという企画である。
 すでに34人を越える方々の撮影を終了させているが、その過程で「顔」について考えさせられた。
(この項執筆平成13年5月。『素顔の紳士録』は、同7月に出版しました。)

 19世紀のイギリスの作家であり政治家であったエドワード・G・ブルワー・リットンは「よい顔が推薦状であるならば、よい心は信用状である」の言葉を残している。(講談社刊『心理戦の勝者』)
 人間は、まず最初に外見で人を判断し、次いで心で判断する、という順番がある。その顔がよい顔であれば、それは相手に対する推薦状になるし、そうでなければ警戒の中で対人関係がスタートする、という意味であろう。


 東洋思想の碩学、安岡正篤師は門下の方々に、アメリカの16代大統領・リンカーンのエピソードを何度も何度も紹介し続けている。
 また聞きだが、リンカーンが大統領に就任した後、支援者の一人が「彼を使ってくれ」と一人の男を紹介してきた。恩義のある支援者であり、すぐにその男に会ったが、採用することはしなかった。
 「何故か」という支援者の詰問にリンカーンは「顔が悪すぎる。男は40歳にもなれば自分の顔には責任を持たねばならない」と答えたという。
 「顔」については、賢者の言葉に限らず、身近な実生活の中でも知らず知らずに意識させられている。私自身、親から「男は30歳にもなれば、自分の顔に責任を持ちなさい」と言われ続けてきた。古今東西を問わずだな、を実感する。


 クボタの社長、会長を務め、財界でも関西経済同友会代表幹事、大阪工業会会長を歴任された廣慶太郎翁(故人)は、朝の洗顔のときじっくりと自分の顔を見つめることを日課にされていた。
 「何も、髪の形がどうだとか、汚れが残っているとか、お洒落の気持ちで鏡をのぞくわけではないですよ」と笑いながら話をしてくれた。
 「鏡に映る自分の顔に疲れが残っていないか、何か悩みを抱える顔をしていないか、元気はつらつな感じがあるか、そういう目で自分の顔を見るのです。顔というのは心を映す鏡でもあるのです」

 逆に、部下の顔を見つめて彼らに思いやりの心、そして言葉をかけてきた経営者もいる。
 先の廣さんとも親しかった新井正明住友生命保険名誉会長も顔の重要性を意識されるお一人だ。
「廣さんの話は初めて聞いたが、顔を見ていると、何か困ったことを抱えているのではないかとか、体調が悪いのではないか、などが何となくわかる。それでさりげなくその人に話しかけるようにしていた」
 このため、社長・会長時代を通じて機会あるごとにくまなく社内を回り、社員と接するようにされていたという。
 「それもね、たまにしか回らないと、社長が来た、何かあるのかなと、皆が構えてしまうから、それが珍しいことと思われない程度に回らなければいけない。在任期間中、しょっちゅう社内を回り続けましたよ」
 もちろん、社員との会話が最も大事なのだろうが、物理的に全員と話しするわけにはいかない。その時、必要になるのが、社員の顔を見て何かを感じ取る目なのだ。

 心が養われれば顔もまた良い表情になる。もっともそれだけでなく、全体のバランスで顔の表情が変わることもある。
 安岡師は、ある門下生に「君は、髪をもう少し長くした方がより良い顔になるよ」と助言されていたという。ベースは心のありようだが、全体のバランスでも変わるのが顔である。
 そう言えば、ごく最近、私の兄貴分であるある文化人が、寄る年波に勝てずに激減した毛髪を人工的に増やしたと聞く。どのような表情になっているのか再会が楽しみである。

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