第十一回 「宗教心(上)」

早川翁写真   感謝の経営に徹した早川翁
      −宗派に属さぬが宗教心はある−


シャープの創業者、故早川徳次翁にお目にかかったのは、翁が八十路に届かんとする頃であった。経営のすべてを後継者の佐伯旭社長(当時)に委ね、自らはライフワークであった社会福祉事業などに携わっておられた。その早川翁から私は、経営の心と宗教について考えるきっかけをいただくことになる。

 早川翁の視線は常に爽やかで、透き通っていた。
 温かくもあり、包み込むような優しさもあった。まだ20代だった私は、ついつい甘えて長時間、様々なお話を伺った。その表情に、〃悟りの人〃を感じた私は

「会社とか人生の先々に不安は感じないのですか」

と聞いた。

「何の心配も、不安もない。ひとが悲しむようなことにも悲しさは感じないし、怒りも全く感じない。そのかわり、君たちが小躍りして喜ぶようなことにもあまり喜びを感じなくなった」

と微笑んだ。衝撃的な言葉だった。神様か仏さまの心境である.。そこで、

「何か宗教をお持ちですか」

と聞くと

「特定の宗教はないが宗教心はあるな。あえて言えば早川教かな」と。

 翁の経営理念を一言、『感謝の経営』と表現しても誤りではない。お話を伺っても、書かれたものを読んでも、常に感謝の気持ちが充満していた。
 幼年・少年期の翁の人生は決して恵まれたものではない。むしろ逆境の中で育っている。
 生後1年余で養子に出され、養母が早く亡くなる。そして新たな義母のいじめに耐える幼年期を過ごし、その養家から9歳で住み込みの丁稚奉公に出る。その養家から奉公先の飾り屋まで、手を引くように連れていってくれたのは、近所に住む盲目のおばあさんだった。
 井上さんと言われたそのおばあさんへの感謝が、以後の翁の人生と経営の根幹になる。実際にお聞きもし、本でも読んだ。
 著書『私と事業』にも次のように記している。

「私が盲目の人たちに更生福祉の特選金属工場を設けて、不幸な人たちの幸せを願っているのも、根差すところは井上さんが私にさしのべてくれた温かい心やりに対する感謝の意味がひそんでいる」

 その著書にも、先人への感謝、お客様への感謝と、とにかく「感謝」の言葉がいたる所に出てくる。
 話は変わるが、ある縁で浄土真宗仏光寺派の高僧、故藤谷秀道師に師事したことがある。 面授の機会を得たとき、私の「信心は難しい」という愚問に

「信心とはね、感謝する心のことだ。みんなが難しいと言うが、決して難しいことではないのだよ」

と諭されたことがあった。
 早川翁の「感謝」と藤谷師の「信心」とが、何故かぴたりと重なり合った。早川翁の感謝の心とは紛れもなく「信心」の心であった。


 話をまた早川翁のことに戻そう。別な取材の機会に、またまた驚く発言を耳にした。
 以前にも一部紹介した話だが、ラジオ、白黒テレビの国産第1号がシャープ(当時は早川電機)で生産されたことは誰もが知るところである。
 そしてラジオの時には松下電器産業の松下幸之助翁、白黒テレビの時には三洋電機の井植歳男翁が、それぞれに早川さんを訪ねている。もちろん同業者でしかも創業者同士。友人付き合いであったのだろう。だが早川さん本人がお二人を工場に案内し、自ら説明役をかって出たとなると、やはりこれは驚きである。
 以前私はこの話を、幸せを分け合う心として紹介した。もちろんその解釈に間違いがないのだが、誰と分け合ったのか、ということだ。
 それはおそらく

「自分の会社だけでやっていても、なかなか社会には浸透しない。これを皆で生産すれば、普及も早くなり、それだけ人々が早く楽しみに接してくれることになる」

との心であったろう。
 つまりは社会と分け合う幸せであり、盲目のおばあさんはじめ、社会へのお礼返しであった。

 大阪商法のバックボーンは宗教心であり、倫理観であると言われる。だが、その大阪商法の倫理性にもやや翳りが見えないか。今再びそのことを考えたい。

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