第十回 「理入・行入」

    人は失敗しないと学べない
        〜学問は実践に活かしてこそ生きる〜


 あるプロジェクトを推進する中で、大阪商工会議所議員を中心にした中堅企業経営者とお話する機会が増えた。創業者あり、後継者オーナーあり、あるいはサラリーマン経営者ありで、タイプは色々である。だがその人達に共通する特性はいずれも行動・体験派であるということだ。

 そのチームの代表幹事を務める太陽工業の能村龍太郎会長の持論は「人間というのは、失敗しなければなかなか学べない」ということだ。だから、社員の積極的な失敗は、決して咎めない。失敗から何かを学び、身に付けるからだ。
 また、「学問のための学問」を端から否定する。「学問だけでは実践の役に立たない」からだ。だから能村さんが評価する学者には「商家に育った」り、「経営者の父の後ろ姿を見て育った」など、商売を肌で感じ取った人たちが多い。

 かつて、経営学者・未来学者として一世を風靡した大学教授がいた。実家は会社を経営していたが、苦境にいたり、急遽、その先生が乗り込むが、建て直しできずに倒産となる。ところが、その体験を本にまとめると、それが大当たり、ベストセラーになった。そして一言、「学問と実際の経営とは違っていた」と。父の背中から経営を学ぶことはなかったが、自らの失敗で、多くの事を学んだようだ。
 「理入」と「行入」という言葉がある。文字から推測すると、一事をなすに2つの道筋がある。1つは学問・理論から入る「理入の道」。今1つは行動・体験から入る「行入の道」という意であろう。
 おおむね学者や評論家の道は理入であり、冒頭に記した能村さんやその他の中堅企業経営者の道は行入である。大阪商人の学問は実学をもって学とする。また東洋思想の碩学、故安岡正篤師は学問を、行動・実践に活かす(活学する)ことではじめて命を吹き込むと教えた。

 何も経営だけの話しではない。人の行動すべてにこのことが言えるのだろう。いくら知識があり、学問があっても、行動・実践に結びつかない知識や学問は、その人が生きる上に何の力も持たない。
 一方、世間でいうところの学問がなくとも、体験から会得した骨太な倫理・学問の持ち主もおられる。
 実社会というのはこのような社会をいうのだろう。

 大企業病といわれる。あるいはお役人仕事ともいう。その共通点は、ともに理論が優先して行動が伴わない様を皮肉を込めて表現している。いま、関西あるいは大阪の活性化策として多くの機関から提案が出ている。その多くが理入にとどまることを懸念する。

ご意見・ご感想をお待ち申し上げております