第八回 「辛・巳」
−胆識と実行の年− 関西に出でよ日向翁

 平成13年の干支は辛巳(しんし、かのと・み)である。その意味するところについては、例年のように次号(2000年12月15日号)で河西善三郎先生(関西師友協会理事)が詳細を掲載して下さる。そこで私なりにそのさわりを紹介し、本欄の今年(2000年)を締めくくりたい。

 安岡干支学によると辛は「上に向かって求め冒す陽気で、下に伏在していた活動エネルギーが、いろんな矛盾・抑圧を排除して、上に発現していくこと」を意味しており、そこに闘争・殺傷・つらい・犠牲を含むこと、下克上という意味も含まれているという。
 また巳は「今まで冬眠していた蛇が、春になって冬眠生活を終え、地表に這い出る形を示している」と言われる。
 そこで関西師友協会の豊田良平副会長は、このような意味に基づいて、平成13年の辛巳の年を次のようにに予見する。
 「本年は、前年から伏在していた陽動的なエネルギーが、さまざまな矛盾・抑圧を排除しながら表面に現れ、かつ活発になってくることを示しており、また一方では、旧来の因習的な生活、消極的な生き方に終わりを告げて、4月(巳・し)のような陽気をみなぎらせて、宇宙万物・人間社会も、新しい活動を開始して行くべき年であることを教えている」
 さらに、そのような年であることを前提に、今年はこれまで以上に、「正しい現状認識・見識をもち、それを胆識として新たな実行をしていくことが望まれる」とし、“胆識と実行”が、辛巳の年の行動の指針とならなければならない、と指摘しておられる。

 見識という言葉の意味はよくわかるが、“胆識”となると、やや馴染みにくい言葉になっている。
 数年前、ある大企業のトップ交替の記者会見での場で、記者から次期社長の人物像を質問された同社の社長が即座に「胆識の人です」と答えたところ、記者が「“たんしき"とは、どういう意味で、どう書いたら良いのですか」と問いかけてきた、と聞く。胆識は今や死語に近い日本語と言えるのかも知れない。

 そこで見識と胆識について、記しておきたい。
 豊田さんの言葉を拝借すると次のように解釈になる。
 「人生に大事なものは、知識よりも見識と胆識であり、見識には、勇気ある実行力、抵抗・障害を乗り越える胆力が必要であり、胆力ある見識は、理想(ターゲット)、そして志(こころざし)が一貫不変でなければならない。この志が本物になればなるほど、見識が胆識になってくる」ということになる。
 つまり、知識は単なる物知りの段階であり、知識の理解が深まれば、判断力を伴う見識に高まる。だがそれだけでは不十分であり、見識に基づいた行動・実行が伴わなければならない。その行動・実行に至った段階が胆力ある見識、つまり胆識と言われる状態と理解して良いのだろう。

 しかし言うは易く、行うは難し。本物の胆識を身につけた人は、社会のリーダーと言われる人たちにも少ない。早い話が、11月に永田町で勃発した政治茶番劇は何だったのだろう。全く胆識に欠ける政治屋たちの実りなき抗争が演じられたのだ。
 政界だけでない、財界リーダーと称される人の中にも、胆識の人と言われる人は少なくなってきた。
 ある長老財界人は「あの人が言うのだから、従わざるを得ない、と言わしめるリーダーが確かに少なくなってきたね」と述懐していたことがあったが、私自身も同感である。
 取材活動を通じて、私自身が最も「胆識の人」との想いを強く持ったのは住友金属工業の元会長で、関西経済連合会会長も務めた日向方齊さんだった。
 残念ながら、「住金に日向あり」と言われた通産省の粗鋼生産規制に、自由主義経済の立場から敢然と立ち向かったいわゆる“住金事件”については取材するチャンスはなかったが、国交正常化前の関西財界訪中団の編成、わが国の安全保障論議に対する先見性、関西国際空港の建設促進への情熱、いずれをとっても、文字通り「勇気ある実行力、抵抗・障害を乗り越える胆力」を得た見識、つまり胆識の持ち主であり、その行動や発言にはいつも“憂国の情”を感じたものだった。辛巳の年、改めて「関西財界に出でよ日向方齊」を叫びたい。

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