第七回 「青春の詩」

    理想を愚直に求め人生拓く
         −宇野収関経連元会長の人生に学ぶ−

 関西経済連合会元会長の宇野收さんが亡くなった(2000年11月)。その追悼記事を、本紙を始め、」各マスコミが競って掲載した。私自身取材を通じ、宇野さんの魅力に惹かれた1人である。そこで一部重複をお許し頂き、私なりの宇野さんに学んだ人間学をまとめた。

 宇野さん理解のキーワードは『青春の詩』であり、「愚直に理想を追う」ご自身の人生論である。
 『青春の詩』の全文は平成10年5月25日号に掲載している。
 「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」で始まり、「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」と綴るその詩文は、まさしく万人の人生の応援歌である。
 この詩を宇野さんは、ある社員の結婚披露宴で先輩の伊藤恭一さん(元呉羽紡社長)から聞いた。
 感動した宇野さんは伊藤さんに詳細を聞こうとしたが、「調べてみたが、結局、サミュエル・ウルマンというアメリカ南部の人の詩ということしか分からなかった」とのこと。
 そしてこのことを日本経済新聞のコラム『あすへ話題』で紹介すると大変な反響が巻き起こり、その縁でこの詩に傾倒する作山宗久氏と出会う。

 その後、作山さんと宇野さんの連携作業で、ウルマン研究が進み、その成果が1冊の書としても出版される。
 宇野さんによるとウルマンは、少年時代に両親とともにドイツから移住したユダヤ人であり、人生の大半を迫害と挫折の中で過ごしている。南北戦争時代前後のことだが、南軍として参戦して片方の聴力を失い、戦後、事業を興すも成功せず、その上恋愛結婚をした奥さんにも先立たれる。
 そんな失意の中で、ウルマンは70歳を過ぎてこの詩を書いているのだ。
 他にも50編ほどの詩が残っているが、その多くが人生と死についての内容であり、その一方で「正義は必ずこの世で実現する」という、ユダヤ教の教義に対する篤い信頼も綴られている。
 そうした作者の人生を知るにつけ、宇野さんのこの詩に対する想いはさらに熱くなっていった。「人生の陰を踏んだ人の言葉として、非常に厚みがある」と感じ取れたからだ。
 宇野さんは 旧制三高・東大と進み、現在の伊藤忠商事と丸紅の前身である大建産業に入社する。その後、同社の紡績部門である呉羽紡績に転じるのだが、これだけを見れば順風満帆なエリート人生を歩んだかに思われる。だが必ずしもその人生は順風とはいえなかった。
 三高にも、東大にもそれぞれ1浪を経験して入学している。そして部長にまで昇進した呉羽紡績が東洋紡に吸収合併されるのだ。所属する会社の吸収合併はそれまで営々と築き上げてきたサラリーマンの生活を一気に瓦解させることさえ珍しくはない。
 「当時予想もしていないし、突然知らされたのでそれは動揺しました。だが自分の仕事に自身を持っていたのですな。当時の部下にも、世間の何処に出ても負けはしない、だから卑下するな、と励ました」ともいう。
 だからある種の悲壮感は持ちながらも落ち込んではいなかった。ここが、常に前向きで、やや楽天的なところのある宇野さんの強さだったのだろう。
 宇野さんがこんな気持ちでいられたのにはいま1つの理由があった。
 当時、東洋紡の社長だった谷口豊三郎さんが幹部社員に語った一言だった。
 「これから合併交渉に入るが、東洋紡の社員の君たちは、決して騙されても騙してはいけない」。そういうことを言われる人が経営トップでいる会社だから、いらざる心配はするなという気持ちもあったのだという。
 だがその谷口社長の言葉も、宇野さんに「あいつはアホか」と言われても、愚直にそれを貫く姿勢がなければ素直に受け止めることは出来なかったろう。
 楽天的と言われようが、理想を愚直に求める宇野さんの生き方が、人生の道を開き、また『青春の詩』の理解者となったのだろう。

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