第四回 「師−A」

安岡教学の神髄は「人間学」
       無以会からリーダー輩出 師の重みを知る

 本紙の昭和57年1月1日号で私は「関西財界に根をはる安岡門下」と題する記事を書いている。前号で触れた東洋思想の碩学、安岡正篤師の教えの実践・普及活動を行う関西師友協会の経済人有志で作る『無以会』の方々の活躍ぶりを紹介した内容である。

 当時のメンバー22名のうち、6名の在阪経済5団体のトップあるいはトップ歴任者が名を連ね、関西財界に重きを成していたからである。
『無以会』の発足は昭和41年1月である。関西師友協会の少壮経済人メンバー(当時)が、安岡師の来阪にあわせて会合し、教えを受けようという集まりである。従ってそれぞれの会社での役職も、当時は出世頭が専務取締役で、大半はようやく経営陣の一角に名を連ねた常務取締役、取締役といった人たちが中心だった。

 それから16年。そのメンバーからそれぞれの会社のトップが生まれ、しかも財界団体の要職に就く人たちが続出していた。
 古川進・大阪商工会議所会頭(故人)、廣慶太郎・大阪工業会会長(故人)、亀井正夫・関西経営者協会会長の3氏が現役の経済団体のトップ。さらに西山馨・大阪ガス会長(故人)が大阪工業会会長、新井正明・住友生命保険会長が関西経済同友会代表幹事、浅井孝二・住友銀行相談役(故人)が大阪商工会議所副会頭を歴任していた。
 元々トップであった人たちが作った会ではなく、安岡正篤師から学ぶ若手経済人の中から、これだけの関西財界リーダーが輩出したことに注目しての記事であった。
 それからさらに18年の歳月が流れた。師である安岡先生逝去後も『無以会』は新しいメンバーを加えつつなお健在である。
 そして現在の会員20名からも関西経済連合会会長(宇野収氏・川上哲郎氏)、大阪商工会議所会頭(大西正文氏)、関西経営者協会会長(金森茂一郎氏)、京都商工会議所会頭(稲盛和夫氏)らの財界リーダーが誕生している。
 同会発足から世話役を務めている豊田良平関西師友協会副会長(元コスモ証券副社長)は語る。
 「安岡教学の精髄は人間学にある」と。
 前回にも触れたように安岡師が吉田茂元首相を始めとする歴代首相の指南役であったことから、ともすれば安岡教学を「トップリーダーの帝王学」とする見方もある。
 確かにその一面もある。しかし豊田さんは、それを含めて「人物学を修めて、人物を鍛練するための人間学である」と解釈、まず人物とは何かについて、第1に人物の根本は各人の気魄であり、活力であり、生命力に富んでいること。第2に理想をもつこと。
 さらに人物学を修める第1は「古今の優れた人物に学ぶこと」。第2は「人物学に伴う実践、あらゆる人生の経験をなめ尽くすこと」。また、人物を養う3原則として、第1に「心中、常に喜心を含むこと」第2に「心中、絶えず感謝の念を含むこと」。第3に「常に陰徳を志すこと」を挙げ、安岡教学の神髄を説明する。
 そして、この教学が実践に結びつくことで安岡師の教えが生きてくる。だから「帝王学」というよりは、すべての人間が生きていく上での根本にかかわる「人間学」こそ、その教えの神髄であるというのである。
 この教えを深く心に刻む者は、その教えの中に自らの行動規範を求め、実践し、その結果として、トップリーダーに育っていくのだと豊田さんは解釈する。
 前回、「新井さんの経営にとって安岡先生の教えとは何ですか」の私の問いに新井さんは、「すべてです」と答えておられた。
 豊田さんは兵役で大陸を転戦中、安岡師の『続経瑣言』を肌身離さず持ち歩き、ぼろぼろになるまで読み返した。生き馬の眼をも抜くといわれた大阪・北浜の証券界で活躍した豊田さんのビジネス感を貫いたのも、安岡師の教えの実践であった。
 やはり門下のお一人であった檜原敏郎元近鉄百貨店会長(故人)は、安岡氏から学んだ江戸末期の経世家、山田方谷の『理財論』を枕頭の書とし、そこに書かれる「義は利の元なり」を自らの経営感の基本に置いていた。
 『無以会』の方々が、結果として関西財界で要職を得、リーダーとして育っていった背景がここに至ってはじめて明確になった。
 師の重みを知る。

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