「折目允亮さんを偲ぶ会」開催

「関西ジャーナル社 代表取締役 折目允亮さんを偲ぶ会」が、平成15年5月12日、ホテルニューオータニ大阪で開催されました。関西の財界人・クリエーター・文化人など、生前親しい交流のあった人々約300人が集い、折目さんとの別れを惜しみました。





[世話人]

磯村隆文 (大阪市長)
井上義國 (ダイキン工業顧問)
大塚融 (ジャーナリスト)
大西正文 (大阪ガス相談役)
コシノヒロコ (デザイナー)
小谷泰造 (インターグループ社長)
篠ア由紀子 (都市生活研究所所長)
樽床伸二 (衆議院議員)
津田和明 (サントリー相談役)
土橋芳邦 (クボタ相談役)
難波利三 (作家)
能村龍太郎 (太陽工業会長)
萩尾千里 (関西経済同友会常任幹事事務局長)
古市実 (特殊機化工業会長)
和田亮介 (和田哲会長)


【司会】

 折目さんは、どなた様もご存知のように、いつも元気でエネルギッシュに仕事に取り組んでおられました。ところが今年1月、膵臓癌で余命が残り少ないと宣告されました。それからも、周囲の人々に対する態度も変わることなく、仕事も一生懸命こなしてこられました。
 そして、病気発見から1ヵ月も経たない2月5日に、突然旅立たれました。どなたにとっても、これほど突然で残念な出来事はなかったと思います。本日は、生前の元気な折目さんのことをお互いに語り合って、この沢山の美しいろうそくの光とともに、折目さんを美しく送り、爽やかなお別れをしたいと思います。
 私どもは本日の進行役を仰せつかりました、志水英二(宝塚造形芸術大学教授)と、篠崎由紀子でございます。

■静かにお休みください■ 能村龍太郎

 世話人を代表して一言ご挨拶を申しあげます。本日はこんなに大勢の皆様のご出席を賜り誠にありがとうございます。折目さんは亡くなる2日前まで元気に電話で私と話をしておられましたので、亡くなった時は本当にびっくりしました。
 折目さんは、私の夢のような関西活性化の話を、いつも笑顔を絶やさず真剣に聞いてくださいまして、お互いに大いに議論をいたしました。
 折目さんは私より20歳も若いので、これからも20年間は大阪のために活躍してもらいたいと期待していましたのに、こんなことになったのは大変残念で仕方ありません。しかし、折目さん自身も自分なりに精一杯生きて来られたと思いますので、これからは静かにお休みを頂くよう、心からお祈りいたします。
 最後になりましたが、皆様方にはお時間の許す限り、一緒に折目さんを偲んで頂きますようお願い申しあげます。ありがとうございました。

■大阪コレクションへの熱い想い■  コシノヒロコ

 今日は、本当に多くの人たちとご一緒に折目さんを偲ぶ会となってしまいました。それぞれ世界は違いますが、折目さんを思う気持ちは皆さん同じだと思います。
 経済界のことをよくご存知の折目さんが、私たちファッション界の者に手を差し伸べて下さって、能村さんや萩尾さんに大いにご尽力を頂き、「大阪コレクション」を作ってくれました。それから16年、折目さんがいなければ、大阪コレクションはここまで続かなかったでしょう。
 私は折目さんが亡くなったとき非常にショックを受け、翌日からフランスに旅立つことになっていたので、取り急ぎご自宅に駆けつけました。そのとき奥様が、折目さんが最後に残した言葉を語ってくださいました。
 「ごめんね、最後まで頑張れなくて…」
 大阪コレクションは16年経って、これからという時を迎えています。折目さんの死は早すぎると思います。大阪コレクションが始まって数年後、折目さんとお電話で、大阪コレクションをこれからどう運営していこうかという話をしました。非常に長い電話で、私たちは、日本だけでなく、世界の若い人のために門戸を開こうということを本当に熱い気持ちで話し合いました。
 その後、世界各地から新人を発掘し、国内にも素晴らしい新人が出て、今や、世界を駆け巡っています。「大阪の果たせる役割はここにある」ということを、折目さんは誇りを持って話しておられました。ファッションデザイナーは、ともすればわがままで、自分の言いたいことだけしか言いません。その中で運営するのは本当にやりづらい仕事であるにもかかわらず、本当に皆が思い切って発表できる場を続けて来てくださいました。
 今日、こうして何百本というロウソクが灯った会場は、ファッションショーのステージのようですね。ステージの奥から折目さんが出てきて、真ん中のキャットウォークを歩いて来られるのではないかという錯覚をいたします。「折目さん、ここをもう一度歩いてよ!」…皆さんもそういうお気持ちではないでしょうか。
 私たちは、これからもますます素晴らしいクリエーションを続け、世界の人たちに、「大阪はここにあるのだ」ということを見せていきたいと思います。
折目さん、天国から見守って、頑張れと応援をして下さいね。ご冥福をお祈りいたします。

■高い志と行動力の人■ 大西正文

 2年前、「関西ジャーナルの創刊21周年を祝う会」が盛大に行われました。その時、折目さんが最後のご挨拶で、「自分は高い志を持って一生懸命やって来て、やっと一里塚を越えたような気がするが、まだまだ大変な道のりがある。これからも皆さんと一緒に、関西活性化のために頑張って行きたい」と力強く情熱を持ってお話されたのが大変印象に残っています。
 折目さんは、情熱の人であり、努力の人であり、構想力、行動力のある人でした。その情熱を持って、先ほどコシノさんがご紹介された大阪コレクションを始め、後に残る色んなプロジェクトを作られました。今夜は、そういう折目さんを、志を同じくする私どもが偲んで、一緒に昔のことを思い出し、話し合って、天国からご覧になっている折目さんに応えたいと思います。献杯!

■大阪活性化の仕掛け人■ 萩尾千里

 私もジャーナリスト出身ですが、折目さんとは長い付き合いで、面白い性格を知っています。非常に多才な人で、サントリーの津田相談役が、追悼記に書いておられる「ジジイキラー」という面もありましたが、一方、男女を問わず若い人とも交友があり、彼から何人も素晴らしい人を紹介して頂きました。
 コシノヒロコさんを紹介してくれたのも彼でした。私が新聞記者時代に、南御堂に能村さんの会社のテントを張って、コシノ3姉妹がファッションショーをされた時でした。
 それから1年ほどして、能村さん、折目さん、コシノさんの4人でゴルフをした時に、コシノさんが「大阪のためになるファッションショーを、大阪挙げてできないだろうか」という話をされたのをきっかけに、皆さんのご協力で大阪コレクションを設立したのですが、その後私は同友会の事務局長になったので、実質的に大阪コレクションをずっと支えて来たのは折目さんでした。
 大阪コレクションが16年続いたのは、彼の人柄によって皆さんの支持が得られたからだと思います。『関西ジャーナル』はミニコミ紙で、ややもすれば安易な方向に陥る可能性もありますが、折目さんは高い志を持って、絶えずロマンを追いかけて、大阪をどんどん仕掛けて来てくれました。大阪にはポテンシャルはあるので、仕掛けをする人がいれば発展できるのです。普通の新聞とは違うキャラクターで大阪を仕掛けてきたことが、折目さんの存在感であったと思います。
 彼がこんなに早く亡くなったことは、大阪にとって損失だと感じています。折目さんが考えていた、「大阪を仕掛ける」ことを、誰かが受け継いで頂きたいということを願って、ご冥福をお祈りいたします。

■心より感謝申しあげます■  川嶋みほ子

(司会:もうお1人、皆さんへの伝言がございます。関西ジャーナル社を折目さんとともに最後まで支えた川嶋さん、どうぞ)

 皆さん今日はどうもありがとうございました。ボスが死んだのは本当に悲しいことですが、今日、こんなにたくさんの人に来て頂いて、すごくいい社長の下で働いていたということを実感しました。
 折目が亡くなってから、まだ97日しか経っていませんが、私にとっては、色んなことがありすぎて、3年ぐらい経ったような気がします。社員みんなにとっても、人生最大のピンチ、大変な試練だったと思います。社長が突然亡くなるなど考えもしていなかったし、「自分が死んだ方がマシや」と思うほどでした。
 でもそんな試練のかわりに、皆さんに最後まで悲しんでもらえて、「やっぱり私らは幸せやったな」と思えるような置き土産を置いていってくれたと思います。この3ヵ月、皆さんが心配をして、「頑張って、という言葉しか見つからない」と仰いましたが、故人のことをよく知る人の「頑張って」という言葉は、100倍の意味があるように感じて、喜んで仕事もできました。私も今日、「ありがとう」としか言えませんが、やはり100倍の意味があると思って頂けたら、ありがたいです。
 受付に、折目が一生懸命作った写真集『素顔の紳士録』と、『関西ジャーナル』の最終号をご用意しております。すでにお持ちの方が多いと思いますが、折目の作ったものを1人でも多くの方に覚えておいて頂きたいと思いますので、よろしかったらお持ち帰りください。ありがとうございました。