第八回 老人介護と介護保険
女性に犠牲強いる在宅介護
身近な医者をかかりつけに
医療・介護を一本化した施設サービスを

 介護保険制度の実施を来春(2000年)に控えたこの段階で、政治家たちの間で見直し論が沸騰してきた。しかし介護、介護と口を開けば介護制度の充実を訴える人々の、一体何人の人が介護の実態を体験的に知っているのだろうか?
 介護の現場で最もつらい思いをしているのは女性である。しかも実の娘より嫁がその責任を担っていることが多い。いつまで女性だけに頼るのか、いつまで女性に犠牲を強いるのか、その反省から介護保険制度が考案されたのではなかったのか?
(イラスト:Yurie Okada)

 昨年老人介護の悲惨さを思い知らされる経験をした。ある朝出勤すると80歳代の老女が自宅で転んで怪我をしたと救急車で搬入されていた。顔は異様に青く腫れ上がり、全身に出血斑があり疼痛のため息も絶え絶えである。単に転んだだけで起こる状態でないことは素人目にもわかるほどの重傷だ。受傷の経緯を聞き出そうとしても怯えた顔をするだけで一言も発しない。

 レントゲン検査で全身18ヵ所に骨折が認められた。高齢でもあり結局は救命できず10日前後で亡くなったが、介護の地獄を見せられた思いがした。家族に愛情が全くなかったわけではないだろう。また介護を最初から放棄していたわけでもないだろう。しかし何時終わるとも知れない家庭内介護が何年も続くと、普通の人間には魔が差す瞬間が生まれるのだ。
 勿論恵まれた家庭環境で幸せな余生を送ることの出来るお年寄りも居るであろう。しかし現在の日本の平均的家庭には、老人に一部屋あてがい家族全員で支えることができるような条件は揃っていないようだ。
 この差し迫った状況下で、在宅で家族に見守られて最後を迎えるのが一番幸せなのだ、などと悠長な理想論を展開する人が多い。しかし現状で家庭内介護を中心にすると主婦の犠牲が大きくなるだけだし、当の老人も肩身の狭い思いで死ぬのを待つだけになるだろう。
 分刻みの介護サービス・メニューを用意されても、無いよりはましという程度のもので、24時間拘束される女性の負担がそれほど軽くはならないだろうと思う。

 我田引水の誤解を恐れず言えば、身近な医者をかかりつけ医にして医療・介護を一体化した施設サービスを受けるのが現実的だ。介護と医療を分けることは出来ないのに、医者は病気だけ治せ、介護は介護専門員に任せろというのはむちゃくちゃな論理だ。
 介護が必要な老人は殆どすべて何らかの病気を抱えており、医療を受けながら介護されるべきだ。医者に医療も介護も任せていたら、医療費が高騰して国家財政を破綻させるなどともっともらしい論理がまかり通っているが、在宅介護を理想とする現在の介護政策で、本当に介護される人とその家族に安心と幸せを与えるのであろうか。

 支出項目としての医療費は減らすことが出来たとしても、本格的な在宅介護を実現するとすれば医療費を含めた国民負担は一層大きく膨らむはずだ。現にそれを見込んで介護サービス事業に参入する営利企業が次々出てきたではないか。家族介護に手当を出すなどと言う話まで進むと、介護される老人は家族の収入の道具にされるのではなかろうかという心配の方が強くなる。


    【関西ジャーナル
1999年11月25日号掲載
  

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