五十四回 「出会い-6」

鬼気迫る本物の気迫
―藤谷秀道師とのご縁(中)―

 佐々木英彰さん(元住友電工常任監査役)が高僧と呼び、師として敬う藤谷秀道師は当時80歳代の半ば過ぎ。浄土真宗仏光寺派の学監(教学面での最高指導者)を務めた文字通りの高僧であった。佐々木さんがビジネスとの"二足の草鞋"で悩み、また「信心」という大きな壁に突き当たったとき、進むべき道を開いてくれたのが藤谷秀道師であったと聞く。

 大阪・東三国にある浄土真宗仏光寺派常光寺。佐々木さんが住職を務めるそのお寺に着いたときには、法話会場にあてられた本堂には立錐の余地もないほど大勢の人たちが集まっていた。中にはごく数人だが、私もよく知る何人かのビジネスマンの顔もある。多分、佐々木住職の仕事の関係で引っぱり出されたのだろう、と勝手にその心の内をうかがったりする。

 私にしても大差はない。多少の好奇心はあったものの、やはり、佐々木住職とのお付き合いで、ついついこういうことになった、というのが正直なところであった。子供の頃、母親に連れられ、嫌々お寺参りを体験しているが、こうして法話を聞くために山門をくぐるのはそのとき以来であった。

 正直言って、その時の法話内容はほとんど記憶に残っていない。むしろ、日頃私が親しんでいる宗教学者や文化人と称される人たちの親鸞論とは随分違うところで話が進んでいる、という違和感が強かった。それでいて、理屈でない、"信心の世界"で話が進み、藤谷師と聴聞の御同行の心が一つになっている。そういう雰囲気を肌に感じつつ、ちょっとついて行けないな、とも感じたりした。

 だがそんなことより、私の心を強く惹き付けたのは法話をなさった藤谷秀道師そのものだった。百人近くもおられたであろう御同行の方々を包み込む柔和な表情。それでいて厳しく、鬼気迫る話しぶり。「信心に裏付けられた本物の気迫」とはこういうものかと、私はただただ藤谷師のお顔を見つめていた。

 その日から半年も経ってか、再び、佐々木さんから「藤谷先生が自坊に来られる」旨お誘いをいただく。今回は思案するまでもなく、喜んで出かける。最初の時のような煩わしさは全く感じなかった。そして前回同様、鬼気迫る藤谷師の迫力に圧倒されながら、やや私には難しい信心のお話しを伺う。
 そしてまた半年くらい経て、またまた佐々木さんから、同じようなお誘いを受ける。もうその頃になると、最初の時に顔を見た何人かの知人の顔は消えていた。佐々木さんのビジネス関係の中では、私だけが残された感じだったが、しかしこの3回目に、私自身は大きな出会いを体験させていただくことになる。

 3度目の法話は土曜日の午後1時から行われた。午前中の仕事を終えて駆けつけたときには、本堂の最後列の片隅にしか席は残っていなかった。多分、夏だったのだろう。暑さを避けるため、扉や窓が開け放たれ、新御堂筋の車の騒音が入り放題。残念ながら、藤谷先生のお話はほとんど耳に入ってこなかった。このため、休憩を入れ2時間から3時間のあいだ中、私はじっと、藤谷先生のお顔とその所作・動作だけを見続けることになる。

 藤谷秀道師は、同朋舎出版が清澤満之師はじめ明治以降の43人を選んで編纂した『親鸞に出遭った人びと』(全五巻)のお一人として登場される方。教学面でも信心の境地においても当時、「当代随一」と評されていた。その大先生が時にやさしく、そして時に激しく聴聞の人たちに語りかける様は、何度見ても鬼気迫る"本物の迫力"に満ちていた。

 法話が進む中で私は、何度か「多分親鸞聖人というお方もこのような方であったのかな」と、親鸞聖人と藤谷師とを重ね合わせて見たりもしていた。

 やがて法話が終わり帰途につく。藤谷師の声は全く聞こえず、本当なら不満が残るはずであったが、私の心は何故か豊かだった。「ああ、今日も参加させて頂いてよかった」と正直思ったのである。

=つづく=

ご意見・ご感想をお待ち申し上げております