第二十八回 「人物論-1」

 
 深沈厚重が第一の資質

 杉道助翁に見る指導者像(上)

 2002年を迎えて日本の憂鬱は一段と重苦しくなっている。失業率や倒産率は危険水域を超え、金融不安は4月のペイオフ解禁と重なって市民の先行き不安を危機感にまで高める。泥沼の日本、抜け出すのか、深みにはまるのか、その瀬戸際を実感する。「出でよ諸葛孔明! 発揮せよリーダーシップ」と念じたとき、何故か戦後の関西財界を代表するリーダー、杉道助翁(故人)のことが頭に浮かんだ。

 その謦咳に接したことは一度もない。私が社会人になる1年半ほど前、昭和39年11月に亡くなられているから当然である。ただ学生時代、日韓会談の首席代表としての杉道助さんの名は知っていた。
 その後、社会に出て、業界紙の記者として関西財界に関わりを持った頃から、戦後の突出した関西財界リーダーとしてその名を聞くようになった。とりわけ、杉さんを師と崇め、大恩人と敬った西岡義憲さん(元西彦会長、故人)から、耳にタコができるほど翁の話を聞かされた。記録として残しておかなかった不明を恥じるが、今になって私が、杉道助翁について記すことなど想像だにしなかった。

 翁は昭和21年に大阪商工会議所の第16代会頭に就任、以後35年までの5期14年、戦後の関西経済復興をリード、「五代友厚の再来」(『大阪商工会議所百年史』)と称される偉大なリーダーだった。吉田松陰の甥であることを誇りにしていたというが、財界リーダーとしての足跡は、今も関西の至る所に見聞することが出来る。

 日本貿易振興会(JETRO)、大阪国際見本市、大阪国際貿易センターの設立および発足などは杉会頭の手になるもの。それはいずれも「貿易の中心は関西」の信念によるものだった(『関西財界外史』)。

 また、いち早く関西経済の地盤沈下を訴えた経済人で、『百年史』によると昭和27年の新年祝賀会で「近年、大阪経済の地盤沈下の傾向が目立ってきた。この際真剣に大阪経済の振興をはかることが緊要である」と発言している。その認識から「貿易の中心は関西」の発想が出てくるのだが、同時に大阪府・市に呼びかけ「大阪経済振興連絡協議会」を発足させ、自ら会長に就任、経済界と行政の連携に粉骨砕身の努力を注いでいる。先見性と実行力を兼ね備えたリーダーだったのだろう。

 そこで私が最も興味を抱くのは、それほどの評価を受ける杉道助翁とは一体どのようなタイプのリーダーであり、指導者だったのか、ということだった。もちろん先見性と実行力もリーダーに不可欠の要素だが、さらにその人間性に触れたかった。
 大阪府工業協会が昭和31年に発行した『大阪産業をになう人々』がその人柄を次のように紹介している。
「天性というか、豪腹で、驚くべく天衣無縫、ミジンの飾り気もなく、だれにでも無類の気安さで接する。常に温顔、血色もよく、汽車や電車の中、どこででも熟睡することができる術を心得ており健康旺盛である。
 調和と妥協の名人で、まとめ役として証券取引所や化繊取引所のストもたちまち解決している。ウソのいえぬ誠心誠意の人であり、かつ学問、技術を愛好する精神に富む」
 また関経連の『外史』は、杉の会頭就任を満場一致で決め、本人の承諾を求めにお歴々が杉を訪ねたが、杉は散歩に出てどこにもいなかったと、飄々たる杉の態度を示す逸話を紹介している。維新の元勲、西郷隆盛の大きさを連想させる話である。

 西郷さん同様、杉翁もまた一級の大人物だったのだろう。中国・明代の書『呻吟語』(呂新吾)に次のような人物論が紹介されている。
「深沈厚重は是れ第一等の資質。磊落豪雄は是れ第二等の資質。聡明才弁は是れ第三等の資質」
 どっしりと深く沈潜して厚み、重みがあるのが第一の資質であり、物事にこだわらず、器量があるのは第二の資質。そして頭が良くて才があり、弁が立つのは第三の資質(安岡正篤著『呻吟語を読む』より)
 ともすれば今の時代、一流国立大学を出、海外留学で箔を付ける秀才が最も優秀な人物であり、次いで豪放磊落タイプも大型人間として評価されるが、重厚沈着タイプの旗色はあまり良くはない。だが呂新吾は深沈厚重こそ第一等という。杉道助翁とはこのようなリーダーだったのだろう。
= つづく =

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