第二十四回 「酒の席」

  酒の飲み方で人間が見えてくる

     酒席は諸刃の剣 自己研鑽の場に

 仕事柄、会食の機会が多い。仕事とはいえ、志を同じくする方々との懇親の一時は楽しく、記者稼業に心から感謝する。だが、この楽しさの中に大きな落とし穴が待ち受ける。それを知った上で、この楽しい時間を享受するか否かで、その人の社会的信用に大きな差が生じる。酒席は"諸刃の剣"でもあるのだ。

 いわゆる1次会の会食だけなら、ほとんど問題は生じない。多少アルコールが入ろうとも、自己コントロールする力を持っているからだ。だが、堅い話が終わり、「もう1軒…」という段階から危険区域に入っていく。大事な話も終わり、それと共に、酒量も上がっていく。

 2次会ともなれば、綺麗どころが横に付いたり、あるいは近年ではカラオケなども待っている。飲むにつれ、それまで抑えていた良からぬ自分が顔を出し、挙句、それを制御できなくなって相手や周りの人から白い目で見られだす。大概はその翌朝、「酒のせいで、ついつい我を忘れまして…」の弁解が飛び出す。だが、いかに詫びようが、時すでに遅し、"社会人失格"の烙印はしっかり捺されてしまっている。

 その昔、ある財界人と新地のとある有名クラブへ行ったことがある。トップリーダーがよく集まることで有名なお店だが、近くの席にいた知り合いのお客にちらちら視線を投げていた私の相方(とは言え、私を案内してくれた方だが)が、一言、「立派な方だが、ちょっと酒に飲まれますな」とつぶやいた。

 そのお方も人望のある立派な方だったが、それだけに周りの人が求めるものも大きくなる。まだ40代前半だった私は、心底「怖い世界」を実感した。

 またある財界人は楽しく愉快にその時間を過ごされるのだが、ある線を越えると必ず卑猥な替え歌を歌い出すことで有名だった。口には出さぬが、その場にいる多くの人が、その方の品性を疑う。

 私が尊敬した財界人のお一人に、故人となられた山田稔元ダイキン工業会長がおられる。関西財界の調整役として難しい役割を立派に果たされた方である。決して聖人・君子タイプではなかったが、その大きなお人柄と優しさ、気配りは超一級で、つねに笑顔を絶やさない方であった。いわゆる「恕の人」であった。
 その山田さんから実に多くのことを学んだが、その一つが「酒席と人間性」ということだった。「酒の飲み方を見ていると、だいたいその人間が見えてくる」と言われるのだ。そのお話を伺ったのもやはりある新地のクラブだったが、山田さんはかくおっしゃった。

 「こういう(酒席の)場所では、自分一人がここにいると思ってはいけない。必ず誰かに見られているということを意識しなければいけないよ。逆に、そういう意識で周りを見ると、よく他の人のことが見えてくる」
 「例えば横に付いてくれたホステスさんに、いかにも"俺は客だ"と横柄な態度をする人がいる。そんな輩が結構多いのだが、仮に酒の場であっても、私はそんな人間を信用しない」

 長年、同社で山田さんに仕え、山田さんを尊敬することでは人後に落ちない私の友人も、やはり同じような教訓をもらった。今もそのことを感銘深く、心に抱いているという。
 それ以来私にとって酒席の場は、ストレス発散の場ではなくなった。仕事の延長、そして自己研修の場になっている。いささか面白味のない客なのだが、しかしそれで十分ストレスを解消させてもらっている。

 しかし一方で、酒席の持ち方で、逆にその人の素晴らしさを発見することがある。私自身もよく顔をだす小さなお店があり、そこに年令(とし)を聞いてびっくりの長老がお2人おられる。われわれ若手は、お2人に「仕切り屋」あるいは「牢名主」の敬称を捧げているが、見事に全体に気を配りながら、しかもご自身も適当に楽しまれる。それが"年の功"と言うものなのだろう。その所作動作に私たちは多くを学ぶ。

 過日も、その長老の80何歳の誕生を親しいものが集まって祝った。楽しい集いだった。酒席を生かすのも、楽しむのも、あるいはマイナスにしてしまうのもその人の心がけ一つ。どうせならいい酒、いい時間を楽しみたいものである。

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