第二十一回 「忠恕(下)」

目・気・心の三配りが第一歩
   『素顔の紳士録』より =5=

 忠恕。日頃、馴染みがなく、一見、難解なイメージがつきまとう言葉だが、しかし辞書によると平易に「真心と思いやりの心」とあった。前回記したことだが、私はまたこの「忠恕の人」を平易な言葉で「目配り・気配り・心配りのできる人」と置き換えてきた。特に「恕」のやさしさとはまさに目・気・心の三配りから生まれてくる。

 『素顔の紳士録』に登場いただいたクボタの土橋芳邦社長もまた、この「三つの配り」が見事に行き届いた方である。秘書課長から同部長、そして担当役員としておよそ20年間に「3代の社長に仕えた」という秘書稼業の故と人は言うかも知れない。
 確かに土橋さんに限らず、秘書稼業を長く体験した方々には目配り・気配りの行き届いた方は多い。だが、心配りとなると、その人の心の底から自然に出てくるもので、意外にそれができる人は少ない。

 写真集で私は、土橋さんを「立命の人」と呼んでいる。敢えてこのシリーズで、前項の「運命と立命」に入れず、今回紹介することにしたのは、この「心配り」に関係してくるからだ。
 土橋さんは神戸大学の学生時代、硬式テニスの選手として活躍したスポーツマンである。また現在も、同社唯一の企業スポーツである社会人ラグビーで日本一を目指し、自ら強化の先頭に立つスポーツ愛好家でもある。
 そのような今の土橋さんから、「小学校1年生のときも、病欠で出席日数が足りず、進級ストップ寸前までいった」ことや、その後も「過激な運動は禁止されていた」という幼年・少年時代を連想する人は少ないだろう。だが事実はそうであった。 その上に父君を幼児の頃に亡くし、御家の経済も決して豊かではなかった。しかしその頃から与えられた環境を真っ正面から受け止め、克己していく強さが人一倍強かった。そこに焦点を合わせ、私は次のように写真集に記している。
 「幼時にして父を亡くし、病弱な身体、経済的にも恵まれなかった。それがこの人に与えられた運命だった。しかし、その運命を克己の志で乗り越え、新たな自らの運命を創り出していく努力があった。…この人の人生に、運命を立命していく典型を見る」
 この恵まれない環境から、健康を取り戻し、社会的成功を築き上げる過程で、この方は同時に大きな資質を自らのものにしていった。それが他への思いやりであり、やさしさであった。そして同氏に仕える社員は、「とりわけ弱者の気持ちを理解する人」と評する。自ら弱者を体験した人ならばこそのやさしさであり、恕の心なのだろう。

 この人間学シリーズの第1回に私は「常愛妻(とこめづま)」と題して良き家庭について記した。その中で「現役故に名を伏せる」として、ある現役経営者家庭の朝の家族模様を紹介している。写真集で覆面を剥がしてしまったのであえてその名を出すと、それは大阪ガス社長の野村明雄ご夫妻のことであった。その内容については、どうか写真集を見て頂ければ幸いだ。
 要は、このご家庭ではご主人が朝、出勤するまでのいずれかの時間にご主人を大笑いさせ、それから会社へ送り出す、という内容だった。社会生活だけではない、こうした家庭生活での夫婦や親子間の「目配り・気配り・心配り」こそ、忠恕の第一歩なのだろう。
 もちろん、こうして毎朝、家を送り出されるご主人もまた心からの3つの配りができる方として多くの人から評価され、愛されている。
 この項に紹介させていただいた方だけでない。写真集に登場いただいた多くのトップリーダーの皆さんが、文字通り「忠恕」を自然に実践される方々であることが記者には非常に印象的だった。

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